2016/05/01

いま街はツツジの季節

Azalea1Azalea2 今日から5月。
 サクラの花が終わり,八重桜も終わり,4月から5月の花というと,街で目立つのはツツジですね。
 いま,色とりどりののツツジの花が咲いています。
 ツツジというと,雨と一緒というイメージがあったのですが,実際は梅雨前が花の季節ですね。写真に名前をつける段になって,ツツジの英語を調べたら,azaleaなんですね。アゼリアといえば,最近全館リニューアルオープンした川崎駅前の地下街の名前です。調べてみたら,ツツジは川崎市の市花になっていました。

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2016/04/30

市松模様に決まったエンブレム

Emblem 4種類の案が出ていた東京五輪のエンブレム。市松模様のA案に決まりましたね。
 色とりどりの五輪色の案が並ぶ中に,日本的な紺色一色のエンブレムは,地味に見えましたが,私は好きでした。第一,これならば他のどんなデザインにも似ていない様に思います。
 このエンブレム,オリンピック用とパラリンピック用があるわけですが,実はこの両者は全く同じ枚数,
45枚の3種類の四角形でできている事,さらにその四角形の角度も全て同じである事が明らかにされました
 従って,オリンピックのエンブレムからパラリンピックのエンブレムへ,四角形を回転する事無く移動させる事で変化できるのです。
 これはもう紙ベースのポスターでなく,電子ポスターにするしかありません。街中にある巨大スクリーンに,変化の動画として映し出すべきエンブレムです。

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2016/04/29

横浜市日吉のアピタは,移設だった・・・・・

Apita_2

 まったくローカルな話題で恐縮です。
 横浜市日吉に40年前,サンテラス日吉としてオープンし,途中アピタ日吉店に名称変更されたショッピングセンターが,2015年11月29日に閉店しました。しかしサンドイッチのサブウェイだけはずっと営業していました。サブウェイの近くに,いくつかの医院の看板もまだ出ていたので,これら医院も営業していたのかもしれません。
 それが,近所に住んでいる知人から,2016年3月末で完全に閉鎖になったと聞きました。
 経営母体のユニーグループホールディングスはファミリーマートと経営統合し,ユニー・ファミリーマートホールディングスになる事が決定され,それに伴って店舗整理も行われたわけかと思っていました。
 ところが同じ知人から,2ブロックだけ綱島寄りの旧松下電工跡地に移転するだけだと聞きました。この広大な工場跡地には,米アップルコンピューターが研究所を開設する事は以前から報道されていましたが,商業エリアができてそこにショッピングセンターが入り,それがアピタだという事は知りませんでした。
 以前は日吉の名前が付いていましたが,今度は綱島東店になるようです。確かに今度の住所は綱島東4丁目ですから,綱島の名前が付くのでしょう。道を挟んだ北側の店は,日産のディーラーをはじめとして日吉の名前が付いているのですが,道から南側は綱島だという事のようです。
 以前コストコが来るという噂で,それを見込んで衣料品店「しまむら」が近所に進出してきたという噂があった旧松下電工跡地ですが,そのうわさは全くのガセネタであったようです。この再開発地区,既に建物が建ちつつあります。

(写真はGoogleStreetViewより拝借しました。)

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2016/04/28

「地下鉄が本牧まで延びないのは,本当は誰が反対しているのか?」

Minatomiraisen ネット上に「横浜・川崎・湘南のキニナル情報が見つかる!WEBマガジン」と銘打った「はまれぽ」というサイトがあります。
 その中の企画に「みんなのキニナル」というのがあります。これは横浜・川崎・湘南地域で,普段から気になっている事を投稿し,WEBマガジンのスタッフが調査して投稿者の気になる事を解き明かしていくという企画で,皆さんの気になる投稿を読んでいると,「たしかにそれは気になる」というものが多く,私も愛読者です。
 そんな中に,「地下鉄が本牧まで延びないのは,本当は誰が反対しているのか?」というトピックがありました
 そのトピックの結論としては,確かに一部に反対(まさに家の下に地下鉄ができる住民など)はあったものの,待ち望んでいる人も多い事,しかし地下鉄関係者(市や都市交通審議会など)の予測では,本牧に地下鉄が伸びても採算が取れない見通しだからというのが本当のところらしいです。
 ちょっと気になるのはその事ではなく,その記事の最後に,地下鉄で採算が取れないのならば,LRT(Light Rail Transit),つまり近代的な路面電車を敷いたらどうかという「はまれぽ」の記者の意見があった事です
 鉄な私としては,それが実現されれば真っ先に乗りに行くものと思いますが,一方,今の時代,線路と架線などの施設のメインテナンスが必要である鉄道を新たに敷くことが,果たしていいのかどうか疑問に思っています。
 環境の事をいうのならば,ハイブリッドバスというのもあり,また電気バスだって出来ない事はないでしょう。それらに比べて,やはり鉄道は高くつきます。
 いまLRTは各地で計画されていますが,残念ながら,「その計画,バスではだめですか?」と思ってしまいます。鉄道の利点は,速度や輸送力にありますが,路面電車ではどちらもバスと同程度です。私の中では,今バスでとりあえず間に合っているのなら,この先もバスでいいのではないかという思いがあります。趣味的には,LRTができてほしいと思うんですが・・・。

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2016/04/27

パソコンが使えない新入社員が増えている?

Pc  「パソコンを使えない新入社員が増えている」という記事がNET上にありました。昨今の若者は,ネットへのアクセスにはスマホを使うので,パソコンを使う機会も無く社会に出る者が多くなったという事です。
 高校や大学でもパソコンを使わないというのは,ちょっと想像がつかないのですが,そんな者がいてもおかしくはないご時世だとも思います。入力はフリック入力,キーボードを使うのは苦手だという事はありえるでしょう。
 しかしフリック入力などは,パソコンでも適当なソフトを組み込んで,タッチパッドを使ってできると思われ,文字入力のために無理してキーボードを使う必要もないでしょう。
 エクセルやワード,パワーポイントなど,パソコン上の定番である特定のソフトを使った事がないという事もありえます。Windows機に触れた事がなく,Mac使いだったという事もあるかもしれません。その点は周りの大人も大目に見なければなりません。Officeを覚えた上で入社している者は結構特殊かも。まあそれらソフトは,一通りなら簡単に覚えられます。
 まあ,サーフェイスの様などっちつかずの機種を導入すればいいのかもしれませんね。そう考えると,どっちつかずOS,8以降のWindowsの価値というのが輝いてきます。タッチパネルしか使った事のない若者のおかげで,何のメリットがあるのかと言われている「どっちつかずWindows」の価値がわかってきます。そこまで考えていたとしたら,恐るべしビル・ゲイツwww。

(写真は,フリー写真素材サイト「足成」より。)

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2016/04/26

大倉精神文化研究所の施設跡

Okura_mapOkura_old1Okura_old2Okura_old3 昨日横浜市大倉山界隈の歩き回りを記事にしましたが,最後は大倉山精神文化研究所へたどり着きました。
 創立から84年を数える同研究所のホームページには,かつての研究所施設のマップと古い写真が置いてありました。同研究所は,現在も残る本館だけではなく,寮,住宅を初めとして武道場や神社,喫茶店など,いろいろの施設があったようです。これは,研究所の敷地全体で,一つの完結した世界を作ろうという意図があった様です。
 先日の散歩の帰りに研究所に立ち寄ったとき,これらの跡地もみてきましたので,昨日の追補として紹介します。
(地図や写真は,クリックすると拡大します。)

1.研究所西側にある広場ですが,この奥に富嶽荘という寄宿舎がありました。戦後すぐ,GHQによって接収された慶応大学の寄宿舎の代わりに,慶応の大学生の寮になった事もあったそうです。左手には喫茶室などもあった様ですね。

2.上の写真の反対側,崖の上の広場ですが,大神宮がありました。これは研究所ができる前からこの地に建っていた村社「神明社」を研究所の「大神宮」としたものだという事です。この左側の崖下を見ると,かなり急な坂と舴平された場所が見えます。それがおそらく,小さな一戸建てが6戸建っていたという小宿舎の場所と取り付け道路(坂道)だったのだと思います。ところで,昔からある太尾村の村社ならば,今でも祭られていてよさそうなものですが,昭和33年に周辺の5社と合祀されて,場所を移転して太尾神社になっているそうです。研究所の狛犬や手水鉢などが,現在でも太尾神社に残されているそうです。

3.これは研究所建物の東側の冊の中の広場ですが,ここが武道場だった場所だと思います。

 これらの広場に昔の建物の礎石など,痕跡が残っていないかなと思いましたが,何も無いみたいですね。研究所の昔の地図がなければ,ただの空き地でした。 

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2016/04/25

横浜市大倉山界隈を散歩

 このところ,樽町菖蒲園師岡熊野神社東横線綱島−大倉山間の線路移設跡など,横浜市大倉山界隈を散策していましたが,ついでに大倉山精神文化研究所の周りを散歩しました。

Okura1 東横線線路移設跡探訪のついでにという事で,大倉山北側からアプローチ。大曽根第三公園(熊野神社の「ちの池」跡は第二公園で,別物)の近所で,なんと相模鉄道の電車を発見しました(最初の写真)。大乗寺という寺の駐車場際の平の中(つまり寺の中)に置いてあったもので,運転席部分しかありませんでした。どういう経緯で大乗寺がこの運転席部分を譲り受けたのでしょうか? そういえば,平成19年には,相鉄の電車がこの辺にやってきます。東横線への乗り入れは日吉駅からとなりますから,大倉山辺りでは東横線とは別線になっている筈です。既にこの乗り入れ工事も,数年前から日吉駅周辺で始まっており,綱島の温泉施設「東京園」も,新綱島駅(仮称)建設のために長期休業に入りました。東京園の敷地の一部に,新綱島駅施設がかかる(地下駅として)らしいです。東京園敷地は建設基地として使われるそうです。

Okura2 さて大乗寺から南へ上り,大倉山梅林の中に入ると,丘の上に小さな社または祠らしい建物が林の中に見えています。地図を参照すると「東横神社」と書いてあります。近くへ寄ってみましたが,柵で囲われ,こちら側からは境内に入る事はできない様です。しかも木々の為に,祠の全貌は見えません。
 あとで調べてみると,大倉精神文化研究所のホームページの「東横神社」の項に,「昭和14年(1939)6月22日、東京横浜電鉄・目黒蒲田電鉄両社社長五島慶太が両社の発展に貢献した功労者の霊を慰めるために造営し、伊勢の神宮より本体を遷座した。」とあり,現在も東急の所有で一般公開されていない神社の様です。そもそも大倉山梅林は,東急の前身,東横電鉄が作った梅林で,今は横浜市に売却され横浜市管理の梅林になっていますが,この神社境内だけは今も東急の所有という事なのでしょう。

Okura3Okura4 大倉山梅林の中や周辺をウロウロ歩いていたら,その東横神社の表玄関に出くわしました。なかなか立派な玄関で,さっきの社はこの奥に遷座しているようです。さすがに東急がしっかり管理しているようで,中へ入る事はできませんが冊から覗くと,きれいに整備されている様子がうかがえます。この門からも先ほどの社は見えません。外周の公園の歩道を奥へ入ってみても,木々で隠れて社のほんの一部しか見えません。あくまでも一般には見えない本殿でした。

Okura5_labouraOkura6_laboyokoOkura7_laboshomen さて,そこから大倉山精神文化研究所へ向かいます。研究所の裏からのアプローチ。横を通って正面に回りました。いつ見ても立派な建物ですね。昭和7年,1932年に竣工した建物です。東洋大学の学長なども務めた大倉邦彦によって創設された研究所で,人文科学,社会科学の研究所です。1936年には文部省所管の財団法人になり,制度改革により現在は公益法人となっているそうです。研究所は今もこの建物の中で活動中ですが,敷地は横浜市に売却され,建物は同じく横浜市に寄贈されていて,この建物の中でコンサートや集会などが開かれています。
 この研究所のホームページは,この界隈の昔を知る為のバイブルのようなもので,大倉山にこの研究所があるおかげで,この地域がより興味深いものになっています。
 さてここから坂を下れば大倉山駅です。それ程長い距離を歩いたわけではありませんが,なにしろ山坂が多く,結構いい運動になりました。

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2016/04/24

スターバックスのカンタロープメロン&クリームフラペチーノ

Flapetino 気候も暖かくなり,そろそろフローズンドリンクの季節だ・・・,という事で,スターバックスでカンタロープメロン&クリームフラペチーノを食して来ました。
 このフラベチーノ,上からホイップクリーム,メロン味のスムージー,メロンジャム?,パンナコッタとなっています。
 ホイップクリームは甘くないので,すぐ下のメロン味のスムージーと一緒にいただく事になります。メロンジャム?は果肉入りです。細かくなっているので,その下のパンナコッタと共に,付属の太いストローで吸う事ができます。
 美味しかったですが,Tall一種類しかなく,680円(税込み)と高いのが難です。
 ところでカンタロープというのは,赤肉種のメロンの種類だという事です。フラベチーノの色を見ても,確かに赤肉種ですね。

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2016/04/23

ゆとり世代の学力低下はウソだった?

Yutori 「ゆとり世代の学力低下はウソだった」という記事がネット上にありました
 ゆとり世代の知人も多いのですが,ゆとりを実のある事に使ったという,当時期待されていた通りの人たちがいます。
 そんな人たちがそろそろ頭角を表わしはじめていて,この世代,もう少し経つと,他の世代より同世代内の格差が大きくなる世代なのかなと思います。
 「学力」が重要なのではありません。ゆとりを遊んで過ごした人と身のある事に使った人は,私の中では同じ括りです。遊びもしなければ身のある事に使いもしなかった人,せっかくのゆとりを無為に過ごした人には,これから厳しい時代が始まります。

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2016/04/22

東横線綱島-大倉山間の線路移設跡に行ってみました

Kyusen1Kyusen2Kyusen3Kyusen4 昨日の綱島-大倉山間の東横線線路移設の話,その現場に行ってみました。
 最初の写真では,写真右側を東横線が走り,左側の道路がいい具合にカーブしていて,鉄道廃線ファンならば「これが廃線跡だ」と思うのですが,さにあらず。これは廃線跡の東側(左側)の側道で,線路があった時代から道路でした。しかも昔の地図と今の地図を比べてみると,写真の地点では,まだ線路は現在の位置と変わっていないようです。
 次の写真は何の変哲もない道路ですが,この右側の家並みの部分またはさらにその奥に,この道路と並行に線路があったようです。現在では住宅になっており,何の痕跡もありません。
 この道路とかつての東横線は,以前紹介した「ちの池」のすぐ西側を通っていたようです。以前紹介したように,「ちの池」の西側半分,つまりこの道路および旧東横線の側は住宅になっており,「ちの池」の現在の姿,大曽根第二公園がこの道路から見えるわけではありません。池跡に建った住宅がみえるだけです。
 次の写真は大倉山駅手前の東横線を跨ぐ陸橋から渋谷方を見た写真です。線路右側に草地が見えますが,これは旧線跡のようです。この草地の向こう側で目立つのがマンションのビルですが,その手前に低層の白い建物が見えます。これは東横線の変電施設らしく,旧線跡を利用しているわけですね。
 次の写真は,旧線跡の草地と変電施設の敷地をまえの写真とは逆に渋谷方から見たところです。奥の方にちらりと見える陸橋から,前の写真を撮影しました。
 というわけで,東横線旧線の跡としては,大倉山駅手前の草地と変電施設がかろうじて残っているという状態の様です。かつての側道を歩いてみても,あまり鉄な雰囲気はありませんでした。まあ線路跡そのものというわけでなないし,線路跡も住宅地に飲み込まれてしまっています。東京近郊では,まあそんなものでしょうか。

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