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2004/08/09

原爆について語る?

 8月6日の広島原爆の日に続き,8月9日,長崎が原爆の日を迎えました。
 「日本は世界で唯一の原爆被爆国」とか,「日本が蒙った原爆の悲惨さ」とか,国としての「日本」を主語にした言い方が,どうも苦手です。「世界で唯一の原爆被爆国」とか「原爆の悲惨さ」を語る資格があるのは,被爆者だけのような気がして仕方ありません。当時の日本は,サイクロトロンの研究をしていて,決して原爆開発に無関係ではありませんでした。その時の戦争は,真珠湾攻撃によって日本が始めたものでもあります。決して,「日本が」という主語で,まるで被害者のように語ることはできないと思います。
 しかし,その被爆者も年々少なくなっています。被爆者以外の者は,原爆について,どのように語ればいいのでしょうか?

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コメント

原爆について語るを拝読しての、私の想い。先ずはじめに、我々日本人は、余りにも原爆を落とされたという被害者意識が大き過ぎるのではないかと思っています。歴史は、我々の先輩たちが、謝った国策で、近隣諸国を戦争で攻め込んで行ったと言う大きな過ちがあると言う事を認めなければなりません。原爆は、何故駄目なのでしょうか?戦争に、この武器は良いが、この武器は駄目だと言う定義は存在しません。戦争になれば、100%勝たなければなりません。原爆が駄目で、大砲は良いのでしょうか・・・大砲が駄目で、機関銃だったら良いのでしょうか?????武器の大きさや威力ではなく、戦争そのものを無くす事が一番大切な事ですよね。
因みに、今年、93歳になる父は、被爆者ですが、今も元気で何不自由なく暮らしています。小さい時から、原爆の話を聞かされてきましたが、私の父から聞く話と、他の方たちの話は、随分とかけ離れた話です。私の父は、原爆が投下されたのは、しょうがないと言っております。その当時、原爆が投下されるほんの2~3日前までは、本土決戦だと言う事で、竹やりを盛っての訓練が連日続いていたそうです。日本国国民は神の国であり、死ぬときは、全員で突撃して死ぬと言う事が美徳とされていたそうです。もし、原爆が投下されていなければ、間違いなく、玉砕されて、もっと多くの日本国民が亡くなっていたと、私の父は言っております。決して、原爆を正当化するのではありませんが、原爆が悪いのではなく、昔の日本国を支配していた軍部が悪いのであって、攻めを負うのであれば、軍部にいた人が攻めを負う。戦争犯罪人として、裁かれましたから、既に終わったことです。これからは、戦争と言う過ちを二度と起こさないようにするのが、我々の役目だと思っております。私の父は、ビルマに戦争で傷ついて帰ってきました。父は、原爆資料館に行って、悲惨な状況の写真を見ても、外地で、首のない死体。体の胴体が真ん中が開いた状態の死人、体が半分になった死人等々、原爆資料館の悲惨さよりももっと凄かったと、昔から話で聞いております。未だ話すことは沢山ありますが、書ききれませんので。お許しください。

投稿: 矢嶋金太郎 | 2010/08/05 15:15

 矢嶋さん,コメントありがとうございました。
 父上が被爆者だとの事ですが,私の叔父がやはり被爆者でした。といっても,かなり遠くにいた為に,それほど重い被爆者ではなく,傍で見ていても,被爆者だとは思えない程健康でした。実際,90で亡くなるまで,被爆者である事を意識した事はありませんでした。
 母の出身地である長崎の原爆資料館に行った事があり,悲惨な状況の写真を見ていますが,確かにおっしゃるように,戦争の被害写真というのは,原爆でなくても悲惨なものでしょうね。
 原爆の日は,日本が戦争に突き進んでいった反省の日でなくてはならないと思います。

投稿: Alice堂 | 2010/08/05 18:44

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長崎原爆の日、核兵器廃絶を米市民にも呼びかけへ - asahi.com : 社会 [続きを読む]

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