2017/08/26

東急西武線まるごときっぷ

Ticket 東急の駅で発売されているお得切符の一つに「東急西武線まるごときっぷ」というのがあります。
 東武東上線向けのお得切符「東急東武東上線ハイキングきっぷ」は,比企丘陵を訪れる際,これまで度々使用しています。
 今回西武線向けのお得切符を初めて使いました。定期券のある武蔵小杉駅から1720円。ちなみに武蔵小杉と西武秩父間は片道1180円ですから,この区間を往復するだけでもお得です。
 私はこの切符,西武池袋線に限って全線乗り降り自由だと思ったていたのです。ところが何と,西武新宿線も乗り降り自由なのです。ですから,所沢で乗換えて川越えにも行く事ができます。さらに,他の西武線と全く連絡がない多摩川線にも乗る事ができるのです。ちなみに,新宿線の西武新宿と東京メトロ新宿三丁目も徒歩連絡して乗換える事ができます。
 もちろん国分寺や拝島にも行く事ができます。副都心線の渋谷−小竹向原間も,乗り降り自由です。全くお得な切符ですね。

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2017/07/24

埼玉県高本の日本セメント専用線跡の一部が遊歩道になっていました

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 以前埼玉県の東武東上線高坂駅から分岐する日本セメント専用線跡の記事を書きました。高坂と高本のセメント用粘土採掘場所を結ぶ専用線です。その高坂駅側半分が「まなびの道」として整備開通したと聞いて行ってきました。
 高坂駅の北,東上線に沿った所からまなびの道が始まります。上の写真で,左上の最初の写真がそのまなびの道の始点です(写真をクリックすると,拡大します)。右側を東上線が通っているのですが,分かり難いですね。ポールに「2.8km 化石と自然の体験館」とありますが,現在の「まなびの道」はここから1.1km程で,この体験館に遊歩道だけを通って行けるわけではありません。
 その右の写真は,以前の記事に整備前の写真が載っていたのと同じ所で,道路を超えて遊歩道は左にカーブし,奥の林の中に消えていきます。遊歩道の復員は4m程,右側半分は自転車用,左側半分が歩道です。自転車用はさらに2分され,上りと下りの車線に別れています。
 その右の3枚目の写真は,その林の中を通る部分です。次の写真は林を抜けて,右側に自動車が走っている道路が寄り添ってきます。県道344号線です。
 次の写真も344号線に沿った部分です。以前の記事の最後にGoogleStreetVewの写真を掲載しましたが,その写真に写っていた白い建物が前方に見えています。やがて遊歩道は左にカーブし,県道344号線を離れていきます。6枚目の写真の区間です。
 やがて前方に丘が見えてきて,遊歩道は右にカーブしていきます。7枚目の写真です。そして8枚目の写真が今回の整備区間の終わり部分です。廃線跡はさらに前方の駐車場に続いていきます。この部分は東松山市の所有でなく,民有地の様ですね。駐車場の先で廃線跡は市道を斜めに横断し,さらに私有地として続いていきます。そしてやがて関越道を斜めに渡る下の写真の場所に至ります。かつてここに葛袋3号橋という橋が架かっていて,貨物列車がその橋を渡っていました。現在では関越道の両側に橋の痕跡だけが残っています。そして貨物線は途中駅であった葛袋駅に至ります。現在葛袋の粘土採掘場は,現在では産業団地になっています。

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 このまなびの道,東松山市の計画としてさらに先に伸びるらしいです。産業団地からかつての高本駅,現在のゴルフ場入り口まで,遊歩道になりそうです。この区間は山の中腹を行く区間で,コンクリート橋や鉄橋があり,本当はこちらの方が興味深い区間です。その時,途中の民有地の部分はどうなるのでしょうね。
 以前レポートした様に,高坂駅北側で左にカーブしながら林の中に廃線跡が消え,そして県道344線を走る車からにその廃線跡を見る事ができ,やがて道路から離れて左に消えていく。林に消えた後や道路から離れた後は,廃線跡がどんな所を通っているのだろうと気になっていたのすが,今回その部分が公開されたわけで,暑い中ではあったものの,大変興味深い廃線探訪になりました。

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2017/06/06

元住吉駅のエスカレータの手すり

PhotoPhoto_2 東急東横線元住吉駅に久しぶりに降りたら,エスカレーターの手すりが替わっていました。
 他ではついぞ見た事のない,模様入りです。以前は普通の無地の手すりだったのですがね。
 元住吉駅には,あと2基(上下別に数えると4基)のエスカレータがあるのですが,それらはどんな模様なのでしょうか?

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2017/04/27

開通時の玉電スタイルの世田谷線

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 写真は東急世田谷線です。
 今年は開通110周年という事で,一編成だけ開業時の玉電を模したラッピングカーが走っています。まあ形が近代的なので,レトロというより他の車両よりおしゃれに見えますね。
 連写すればいいアングルの写真が選べたのでしょうが,一発勝負だったので全体が写りませんでした。全体像は,私が好きなこちらのサイト「gayasanのブログ」でご覧ください。

(山下駅にて)

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2017/03/14

新玉川線の初期の計画ルートについて

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 先日このブログに書いた世田谷線上町から荒玉浄水場までの新線計画。それに関連して砧浄水場を訪れたわけですが,その帰り,バスで狛江駅に出て,小田急線に二駅だけ乗って成城学園前で降りました。そして渋谷行きのバスで世田谷通り沿いの松ヶ丘交番前へ。ここから歩いて数分の「世田谷区中央図書館」に行くためです。
 この図書館ならば,「新玉川線建設史」という本が置いてあるだろうと思ったからです。著者が東京急行電鉄となっており,いわば新玉川線建設の正史のような本で,これならば現在の新玉川線路線に落ち着くまでの計画路線について書いてあるだろうと思ったからです。
 図書館で早速検索してみると,見事にありました。書庫内保管されている本で,かなり厚い本でした。その中には,計画路線の変遷も書いてありました。
 新玉川線の初期の計画については,「三軒茶屋から蛇崩川沿いに用賀へ」という蛇崩川ルートが有名です。新玉川線のもともとの計画ルートというと,いたるところでそんな記述に出会います。
 しかし蛇崩川というのは,私の頭の中では,馬事公苑附近から世田谷区の中央部を東西に流れて中目黒で目黒川へ合流するという川で,玉川線と直交こそすれ並行しないのではないかという気がしていました。私が知りたかったのは,この蛇崩川ルートの地図が「新玉川線建設史」に載っていないかという事でした。
 結果的にいうと,載っていたのです。そして,この蛇崩川ルートが新玉川線の最初の計画ルートというわけではなく,この前に第一案ともいうべきルートがあった事を知りました。そのルートは現在の新玉川線,つまり国道246号線の南側を並行して通るルートです。このルートでは,三軒茶屋駅も現在の三軒茶屋駅,つまり旧玉川線,現田園都市線・世田谷線の三軒茶屋駅から南に少し離れた位置でした。
 それから第二案として現れるのが蛇崩川ルートです。三軒茶屋駅は246号線と世田谷通りの分岐点附近で,現在の三軒茶屋駅の位置です。そこからほんの少し世田谷通りを走り(三軒茶屋付近は地下線で計画され,三軒茶屋駅は地下駅の予定でした)やがて南へそれて蛇崩川に並行するようになります。私が「東西だろう」と思っていた蛇崩川の流路も,弦巻のあたりでは南西から北東へ流れ,新たな玉川線ルートにぴったりでした。実際新玉川線は,この川の真上を川を跨ぐように高架で通過するように計画されていたとの事です。現在の新玉川線(とりもなおさず旧玉川線)は,駒澤大学と桜新町の中間で現国道246号線を離れ,旧246号線上(地下)を北に大きく膨れて(回って)用賀へ行きますが,蛇崩川ルートは,世田谷通りから南に外れてこの膨れた頂上付近(桜新町附近)に真っ直ぐに到達するようなルートです。その過程で,蛇崩川上を通過するのです。
 三軒茶屋付近の蛇崩川のGoogleMapを示しますが(クリックすると拡大します。現在では蛇崩川は暗渠化され,緑道として示されています),地図の右上に三軒茶屋駅があり,そこから対角線方向斜め下に蛇崩川が示されています。三軒茶屋駅から少し世田谷通りを通り,左斜めにそれれば,確かに蛇崩川にすんなり繋がりますね。この地図の範囲外になりますが,現在の弦巻中学校の少し先,蛇崩れ川が北に曲がる辺りから斜め左に線路がカーブすれば,現在の用賀駅附近へすんなりとつながります。
 まあ現在の246号線上の路面電車に代わって,あるいは路面電車の輸送力を補完するために高速鉄道を計画するとなると,246号線を避けて,南側の第一案,北側の第二案というのは,自然な計画なのかもしれません。そして結局,第一案,第二案とも地元との調整に手間取り,全線路面電車をそのまま地下にもっていくという案が採用されたわけですね。

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2017/03/12

東急世田谷線の荒玉浄水場方面延長計画

Kinuta_jyosuijyo 私は,鉄道に関連した歴史を多く扱っているブログ,「gayasanのブログ」のファンです。このブログには,私が子どもの頃よく乗っていた東急玉川線の記事もたくさん載っています。
 3月2日の記事に,「幻の世田谷線支線」というのがありました。現在の世田谷線上町駅と多摩川べりの荒玉浄水場を結ぶ路線が,昭和23年頃,つまり戦後すぐの頃に計画されていたという記事です。これは私が知らなかった事実で,大変興味深く拝見しました。
 荒玉浄水場というのは,駒沢の給水塔へ至る水路が延びる砧下浄水場とともに,多摩川べりにある浄水場で,私は砧上浄水場として覚えていたのですが,現在は砧浄水場というのが正式名称のようです。この浄水場から真っ直ぐに北東へ向かう荒玉水道道路が,中野区の野方配水塔,板橋区の大谷口配水塔へ延びています。野方の配水塔は昔のままの姿をとどめていますが,大谷口配水塔は壊され,今ではそのモニュメントのような配水塔風の塔がその場所に建っています。
 さて,写真の奥が砧浄水場,手前に延びる道路が水道道路で,ここから杉並区高円寺に近い杉並区堀之内までほぼ一直線に道路が伸びています。
 この浄水場まで上町から鉄道が延びる計画があったわけですね。上町から西に世田谷通り沿いに進み,水道道路との交点である世田谷区喜多見6丁目の砧小学校辺りから水道道路沿いに南西に進んで浄水場に至る。
 上町から世田谷道り沿いに進む鉄道というのは,現在の世田谷線の前身,玉川砂利電気鉄道が計画した世田谷-登戸間の路線の一部をなすもので,昭和23年に計画されたのなら,先祖の計画路線を一部復活した事になるわけです。
 さてこの路線が実現していたと仮定して,現在の田園都市線も実現している状態で,荒玉浄水場から多摩川をわたって神奈川県に延びる事が考えられます。
 浄水場から小田急と田園都市線の中間を埋めるように路線が延びるとすると,向丘,菅生,保木,王禅寺,鴨志田,恩田,そして終点は結局中央林間というのが率直のようです。中央林間で田園都市線,小田急江ノ島線に接続という事ですね。
 現在公共交通としては田園都市線や小田急線の駅までを結ぶバスしかないこの地区に鉄道ができれば,かなり便利になるでしょう。田園都市線の混雑が,かなり解消されるでしょうね。まあ上町から延びるのであれば,世田谷線・新玉川線とは別の地下鉄の設定,渋谷から都心方面への地下鉄は半蔵門線でいいのかなど,様々な問題が出てきますが・・・・・。

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2017/03/11

東急世田谷線は,結構坂を上ったり下りたりしていた

Setagayasen 久しぶりに乗った東急世田谷線。三軒茶屋から下高井戸まで,東京世田谷区内で完結する5kmの路線です。全線専用軌道を走りますが,電車は路面電車タイプの2両編成です。
 今日は運転席の脇で前方を見ていました。世田谷線は子どもの頃から何度となく乗っていましたが,全線で前方を見ながら乗車したのは初めてである様な気がします。
 何となく平地を走る路線というイメージがあったのですが,前を見ていると結構高低があります。思いのほか坂を上ったり下りたりします。世田谷というか東京の山の手というのは,とかくそんな所だという事ですね。
 写真は,松原駅近くの台地から下高井戸駅へ下りていくところですが,坂を下るのがわかるでしょうか。サンバイザーでちょっと見え難いですね。

(写真はクリックすると拡大します。)

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2017/02/16

小田急と東急世田谷線の不思議な縁

SetagayasenOdakyu 以前,東京世田谷区に住んでいて,そこは小田急線と東急世田谷線の両方の駅に出られる場所だったのですが,そのため渋谷に出るときは世田谷線(私が住んでいた時点では,東急玉川線の三軒茶屋-下高井戸区間である下高井戸支線),新宿へ出るときは小田急に乗っていました。
 したがって小田急と世田谷線はおなじみの電車だったのですが,この二つの鉄道は,不思議な縁がある事を最近知りました。
(以降,分かりやすいように,路線名は現在の名前を使います。)
 小田急の創業者,利光鶴松は,当初まず地下鉄である東京高速鉄道を企画します(この地下鉄計画は東急の五島慶太が参画し,渋谷-新橋間の地下鉄(現在の地下鉄銀座線の南半分の区間)として実現する地下鉄と同名の会社ですが,別物です)。その東京高速鉄道の郊外線部分として計画されたのが現小田急の路線です。
 地下鉄の郊外線という位置づけですから,起点は赤坂にも近い現在の東京千代田区平河町に置き,平河町から赤坂見附,原宿,渋谷,三軒茶屋,成城学園前(当時の砧村)を経て多摩川を渡って原町田へ,そして現在の小田急の路線とほぼ同じ経路で小田原にいたる路線でした。
 ここで注目は,初めの計画当時は新宿を経由せず,渋谷から三軒茶屋,成城と,現在の世田谷通り沿いに計画されていた事です。それが新宿起点となったのは,鉄道省にいた利光の友人の助言によるという話が「利光鶴松と小田急電車(首都圏の鉄道史4-2)」というホームページに載っているので参照ください。
 さてこれが大正時代の話です。
 それより前,明治時代に構想されたのが玉川線でした。私は,玉川電気鉄道の後身が玉川線,二子玉川への本線と三軒茶屋-下高井戸間の世田谷線だと思っていたのですが,その成り立ちは二子玉川への玉川電気鉄道と世田谷線方面を企画した玉川砂利電気鉄道の2社の案を合体したものだったのです。しかもどうやら,この2社の合体では,世田谷線の玉川砂利電気鉄道が主となり,二子玉川方面の玉川電気鉄道を合体したようです。
 これは前述のとおり,大正時代である小田急の計画より前,明治時代の話です。
 その玉川砂利鉄道の計画は,下高井戸に至る路線ではありませんでした。三軒茶屋から上町(当時は世田谷)を通り,さらに西に世田谷通り沿いに進み登戸に至るという路線。社名の砂利は,二子玉川ではなく,登戸付近の多摩川の砂利を意図していました。
 これとほぼ同じルートをたどるのが,大正時代の小田急の当初計画だったわけです。私のいう小田急と世田谷線の不思議な縁とはこの事です。
 結局小田急は新宿を起点とし,玉川砂利電気鉄道の計画線より少し北側を通り,世田谷線は上町から大きく向きを北へ変えて世田谷通りを離れ,下高井戸で京王線と接続する事になりました。これは,京王線が運んでくる多摩川の砂利を下高井戸で受取って都心へ運ぶ意図があったようです。線路幅が同じ京王線と世田谷線は,当時下高井戸で線路がつながっていたようで(直通運転は行われていなかったようですが),下高井戸には京王線本線の他に,貨物線もありました。
 ちなみに,大正時代の小田急の前,明治時代に,小田急と同じような経路をたどって東京千駄ヶ谷付近と小田原を結ぼうとした武相中央鉄道の計画があって,玉川砂利鉄道は登戸から先,これに乗り入れることを考えていたようです。大正時代の小田急は,この玉川砂利鉄道と武相中央鉄道の計画を合体させたような計画だったわけですね。
 私が世田谷に住んでいた時お世話になった2線ですが,最近そんな縁がある事を知って驚きました。

(写真は,フリー写真素材サイト「足成」より。)

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2017/01/10

東急東横線祐天寺駅通過側工事状況

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Yutenji2 東急東横線祐天寺駅は,以前から通過線増設工事を行っていました。緩急接続ができる渋谷駅と自由が丘駅の中間に,優等列車待避設備を作ろうというものです。
 完成は今年3月になるようですが,現時点で既に通過線の線路が完成しているようです。
 実際のところ,この通過線は旧上り線で,一旦撤去した後,再敷設された格好です。
 したがって,工事中の現在,上り列車は新たに敷かれたホームに接した線路を通っており,急行や特急はホームに沿って線形の悪い線路を通過している事になります。だからかどうか,特急に乗っても祐天寺付近ではかなり低速度で通過します。まあ,次の中目黒駅で,電車が詰まっているのかもしれませんが。
 工事が完成すれば,祐天寺駅通過列車は旧上り線である通過線を通ることになり,上り側線形は良くなります。
 この通過線は,下り線からの分岐合流もあり,下り通過列車が通過線を通れば,下り本線からいったん旧上り線に移動して祐天寺駅を通過する形となり,線形は悪くなります。下りはホームに沿った停車線の線形がいいわけです(以前からの下り線だったので)。
 さて,下りの優等列車も,この通過線を使うのでしょうか?

(写真はすっかり出来上がっている祐天寺駅通過線と横浜方面の分岐部分。)

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2016/10/11

埼玉県東松山市の日本セメント専用線,高坂駅付近

 先日,埼玉県高本の日本セメント専用線跡のうち,終点である高本付近を散策した事をアップしました
 さて今度は,この専用線が東武東上線から分岐する,高坂駅付近に行ってみました。
 高坂駅を線路伝いに北へ歩いていって,振り返って駅の方を見た写真が次のものです。
Takasaka1_2

 奥の方に高坂駅が見えます。その西側の線路,越生線部分が北へ延びる感じで専用線跡につながっています。この専用線が生きていた時代には,高坂駅には貨物用の側線もあったと聞いています。
 さて,その専用線跡に沿って写真とは反対方向,つまり駅から離れる様に北方へ歩いていくと,やがて次の写真の様に,東上線本線が右へ,専用線が左へ別れる地点に達します。下の写真では,東上本線が右へカーブしているのに対して,専用線がまっすぐ進んでいる様に見えますが,すぐ向うで左へカーブしています。
Takasaka2_bunki_2

 さてそのカーブの先,さらに専用線に沿って歩いていくと,側道がT字路になって途切れ,専用線はさらに奥へ森の中へカーブしながら入っていきます。
Takasaka3_to344_2

 この森の奥に県道344号線が走っており,専用線は少しの区間344号線に沿って進む事になります。つまり先日の記事の最後の写真(GoogleStreetView写真)に繋がっていきます。
 さて,前述のT字路のところで,駅の方を振り返ると,専用線跡に工事中の看板がおいてありました。曰く「遊歩道用地の管理作業をしています」。先日の記事にも書いた様に,現在この廃線跡は東松山市が所有しており,やがて遊歩道に生まれ変わるのです。まだ遊歩道の工事を行っているわけではなく,草刈りとか廃物の処理などを行っているのでしょう。現場には作業車や工具がおかれているわけでもなく(休日だった為でもあるが),具体的にどんな作業が行われているのかは分かりませんでした。
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 先日の記事で,「廃線跡はセメント会社から東松山市に無償譲渡され,市がきちんと管理しているのだろうと思われます。」と書いたのですが,この看板がその証拠というわけですね。

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より以前の記事一覧