千葉県営鉄道多古線跡
このBLOGの右の帯にある「プロフィール」を見てもらうと,趣味は「鉄道」と書いてあるのですが,このBLOGではあまり鉄道のことを話題にした事がありません。
そこで,今日は思いっきりオタッキーな鉄道の話題を披露します。
以前このBLOGで,千葉県九十九里や飯岡町刑部岬へドライブに言った時の事を書きました。その記事の中に,「県道をそれて,旧千葉県営鉄道多古線跡の道路を通って県道290号線と国道296号線の交差点へ」という部分があります。この千葉県営鉄道多古線というのは,明治44年,成田と多古の間が開通した鉄道です。千葉県に本拠地があった帝国陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した鉄道を,千葉県が借り受けて開業したもので,600mmという小さな線路幅(軌間)を採用した鉄道だったといいます。
さらに大正15年(昭和元年)には多古から先,八日市場までが1067mmという国鉄と同じ軌間で開通,それが昭和2年民間に売却され,成田鉄道多古線となりました(正確には,成田電気軌道に売却され,その後成田電気軌道が成田鉄道に名称変更)。その1年後,成田-多古間も1067mmという軌間に改軌され,国鉄と直通運転も行われるようになったようです。
ところが,戦時中の昭和19年,線路を南方開発に使用するため,不急路線として休止(一説には,成田鉄道の親会社,京成電鉄の意向といいます),そして戦争終結後の昭和21年10月9日,復活することなく正式に廃止されました。鉄道を失った成田鉄道はバス会社となります。千葉県北部に路線網を持つ千葉交通が成田鉄道の現在の姿です。
さて,私が車で走った多古線跡というのが,下の写真の特徴的な山形の道路です。この写真の左手,つまり西の方,すぐ近くに成田空港があります。実はこの区間,山形の廃線跡から分岐してさらに北に向かう道路ともいえない筋が写真上で見えています。これは,明治44年の開業時の路線で,昭和3年に1067mm軌間に改軌された時,山形の路線にルート変更されたのです。現地へ行ってみるとわかりますが,旧線は北に向かってきつい勾配になっていて,この勾配を緩和するためのルート変更だったといわれています。そもそも,明治時代の開業時,北へ線路が向かっていたのは,北のほうに集落があったからで,それが改軌後の新ルートでは,集落からは離れてしまいました。山形のこの区間は,現在でもほとんど民家がありません。
この成田鉄道多古線の三里塚駅は成田空港のフェンス間際にあり,フェンス警備のため警備員(ひょっとしたら警察官?)が常駐していて,ちょっと写真など撮っていると不審尋問されそうな雰囲気です。三里塚駅から線路は現在の成田空港内へ入っており,廃線跡はすっかり空港と化してしまって失われています。千代田付近で空港敷地を出て,この山形の道路になります。写真の右方,つまり東方向に染井交差点があり,そこから多古を通ってJR八日市場駅まで,廃線跡は車が行きかう国道296号線となってしまい,廃線跡の雰囲気は微塵もありません。この国道296号線に,東京浜松町から東京駅を通って八日市場まで,成田鉄道の後身である千葉交通の高速バスが走っているのも因縁ですね。
<訂正>
国道296号線,旧成田鉄道跡を走る八日市場行きのバスは,東京駅-八日市場駅間のJRバスでした。千葉交通の高速バスは,浜松町-東京駅-銚子-犬吠崎で,旧成田鉄道の路線跡は走りません。間違った情報を書いてしまい,申し訳ありませんでした。
<国土交通省のウエッブマッピングシステム空中写真より>
(写真をクリックすると,さらに拡大します)
<追 伸>
Google street viewによる,多古線旧線,新線の分岐部分の現在の様子をアップしました。
さらにその先の様子も別の記事にしました。
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コメント
成田鉄道は前半と後半の2回に分けて探訪しましたが、新旧線、及び八街線も行ったので自転車にとっては結構な行程になりました。
そんな私にとって、道の駅多古はオアシスでしたね。成田空港内の探索が出来ないのが残念デス(^^;)
http://hkuma.com/rail/narita.html
http://hkuma.com/rail/narita10.html
投稿: H.Kuma | 2005/08/15 11:33
柏熊さん,コメントありがとうございました。また,「rail page」のBBSへの私のコメント対してご返事いただき,ありがとうございました。
多古線のこの区間は,いつ行っても廃線跡の雰囲気を満喫できる区間ですね。いつまでもこのまま残っていてくれるように願っています。
投稿: Alice堂 | 2005/08/15 22:20