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2008/09/25

幻の「茅ヶ崎富士塚」

Chigasakifujizuka その昔,富士山が神そのものであった時代,簡単に登山できない富士山の代わりに富士に登って参拝するために,各地に作られたミニチュアの富士山である「富士塚」が今でも残っています。室町時代の頃から作られたという話ですが,文化財として保存されず,富士山信仰が下火になり,富士講が無くなっていくに従って,都市化・宅地化によって多くの富士塚が既に破壊されています。
 横浜市都筑区の港北ニュータウン内にも,その昔多くの富士塚があったといいますが,今明らかに残っているのは公園化された数基だけです。その中の川和の富士塚は,ニュータウン開発時に破壊されたものの,近くの公園内に大規模に復元されています。
 なくなってしまった富士塚の中に,茅ヶ崎富士塚というのがあります。茅ヶ崎と言ってもサザンオールスターズのあの茅ヶ崎市ではなく,港北ニュータウン内の茅ヶ崎町(共通点は,同じ中原街道沿いだということ)の事です。茅ヶ崎富士塚の写真が残っており,興味があってその場所を探したのですが,文献によっていろいろなんですね。ポータルサイトで検索すると必ずヒットするホームページに,大倉精神文化研究所による「港北七富士めぐりの資料」というサイトがあります。この資料の中でも,富士塚の場所として,2つの違う場所が書いてあるのです。一つは「茅ヶ崎・中丸(茅ヶ崎町1776番地)にあった」。もう一つは『わが町の昔と今』という本からの引用として,「東芝エレベーター(株)の研修センターとなっている」という場所。中丸というのは,市営地下鉄センター南駅の南方にある交差点の名前になっており,研修センターはそれよりずっと東で勝田南町との境。この二つは明らかに別の場所です。また,またそれとは別に,中丸交差点の南西にあたる「大原みねみち公園附近」と書いてある文献もあります。上記の「港北七富士めぐり」のルート,『→環境事業局都筑工場→都筑プール→都筑ふれあいの丘→ふれあい歩道橋→葛ヶ谷公園→茅ヶ崎富士跡→ささぶねの道→大原みねみち公園→自性院→港北東急→センター南駅』から考えると,「中丸附近」というのが一番ありそうに思われます。
 文献の中で,茅ヶ崎富士塚と共に出てくる名前に「自性院」という寺があります。茅ヶ崎富士塚は自性院が管理していたもので,富士講の人々はまず自性院にお参りしてから富士塚に向かったそうです。自性院から富士塚へ向かう道中,「四五六峠」という峠道があり, 「正庵の一本松」 「大塚の青嵐」 「観音の晩鐘」などと共に「四五六峠の夜の雨」 が茅ヶ崎八景という景勝地に数えられていたとか。この自性院は現在もあって,富士塚にあった板碑などを保存しているのですが,ニュータウン開発に伴って場所が大きく変わっていて,あまり手がかりになりません。
 写真は, 国土交通省の「国土画像情報閲覧システム」によるもので,昭和49年当時の航空写真です。いろいろの文献から,自性院の位置と富士塚の位置が類推できるのですが,これが現在のどこなのかわかりません。
 幻の「茅ヶ崎富士塚」。いったいどこにあったのでしょうか?

(写真をクリックすると,拡大します)

−−−<追伸>−−−−−−−−−−

 その後,茅ヶ崎富士塚の位置がわかりました(と思う)。
 その顛末は,「茅ヶ崎富士塚の位置がわかった!」という記事をご覧ください。

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