旧利根川筋 「蘭沼」?
千葉県柏市の利根川岸の小高い丘の上に,布施弁天というお寺があります。いまから1200年前に創設さえれたという古い弁天で,今日の散歩はこの辺り。
布施弁天の裏,利根川岸は,その昔は沼地でした。そもそも江戸時代より前の利根川は,今のように関東平野を東流して銚子から太平洋に流れておらず,南へ向かって流れて東京湾(かつての江戸湾)に注いでいました。そのころ,この辺りには利根川がなく,もっと上流のいくつかの沼沢の水を集めて流れる,広川という小さな川(小さな川なのに広川とは矛盾した名前)が注ぐ沼地だったそうです。霞ヶ浦周辺の変遷をテーマにしたあるホームページで,この沼の名前を「蘭沼」と知り,広い沼地に蘭の花が咲き誇る光景を思い浮かべてしまい,どうしてそんな名前なのか,本当に蘭の花が咲いている沼だったのか,現在どうなっているのか知りたいと思い,いつかここへ行ってみようと思っていたのです。ところが,その後ネット等で調べると,この沼の名前,「蘭沼(らんぬま)」は間違えで,「藺沼(いぬま)」が正解だとわかりました。「いぬま」の「藺」というのは畳面に使う「いぐさ」の事です。いぐさの生えている沼だったら何の不思議もありません。でもなんだかそこへ行ってみたくて,そしてやってきた訳です。
江戸時代に,利根川とこのあたりの沼の間にある台地を人工的に開削して,利根川がこの地にやってきました。今この辺りの利根川の河原は堤防に囲まれ,その中に田んぼが拡がっています。しかしこの堤防の一部が低く切り欠かれ,洪水時には堤防内に水が入るようになっています。千葉県側は田中調節池,茨城県側は稲戸井調節池といって,下流の洪水を防ぐ池となっているのです。しかしそんな洪水も10年~20年に一度しか起こらない。という訳で,洪水時には水につかるという条件で耕作されているのがこの場所です。
ネット上に,かつてこの調節池に水が入った状態の写真がありました(荒川上流河川事務所のホームページ14ページを参照)。かつての藺沼は,きっとその写真のような光景だったのでしょう。
写真の説明;
(1) 布施弁天:紅龍山布施弁天東海寺は西暦807年開山
(2) 布施弁天の丘から眺めた利根川:その広い川原は,
利根川がまだこの地に無かった頃,「藺沼」という沼地でした。
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コメント
この蘭沼、どう読むのか?迷っていたのですが、イヌマでしたか。然も、藺草の藺沼とは知りませんでした。ランヌマでなくイヌマ、納得です。でも、なら、どうして藺沼と書かないのか?(どうみても蘭沼ですよね)と少し気になっています。
投稿: taira | 2012/07/20 21:38
tairaさん,コメントありがとうございました。
あの沼は,古い地図類には「藺沼(いぬま)」と記載されています。「蘭沼(らん沼)」と書いたサイトがあるのですが,どうも単なる間違いではないかと思います。
「藺(い)」という文字はなじみが無く,ちょっと見には,それよりなじみのある「蘭(らん)」と見間違えやすいのです。
投稿: Alice堂 | 2012/07/20 22:45