「和田沼」はここに!
千葉県柏市布施弁天の辺り,現在の田中調節池(といっても,常時は田んぼになっていて,20年~30年に一度くらいの利根川洪水時に池になる)の辺りは,江戸時代より前は,藺沼(いぬま)という浅い沼が拡がっていたという話は,以前このブログで書きました。この沼の事を間違って蘭沼(らんぬま)とい書いたホームページがあって,蘭が咲き乱れる沼というロマンチックな想像をしていた事も書きました。その後江戸時代になって,この地に利根川が人工的にやってきて,やがて沼が乾いていって,藺沼が小さくなり,それでも一部が和田沼という沼として残っていたという話も前と別の記事に書きました。その和田沼というのが,どこら辺にあってどんな形の沼だったのか,情報をネットで探していたんですが,昭和20年初めに米軍が撮影した航空写真というのがあって,そこに見える水面のような地域が和田沼ではないかと,そのブログ記事で書きました。
その時は半信半疑だったのですが,やはりあの航空写真の地域が和田沼だったようです。明治時代の地図というのがネット上で公開されており,そこにはっきりと「和田沼」が記載されていました。航空写真では,なんだか沼の北側の水と陸の境がはっきりしないようで,洪水後にまだ水が引かない時の写真の様にも見えたのですが,明治の地図の和田沼もまさにそのように書き表わされています。しかし,こんな事まで分かってしまうとは,ネットというのは便利なもんですね。
(写真は農水省所管の独立行政法人,農業環境技術研究所による歴史的農業環境閲覧システムから。クリックすると拡大します。)
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