「角福園」はここですか?
先日,このブログで,昭和10年頃の古い地図上に,名所のマーク(三ツ星マーク)がつけられた「○○園」という場所がいくつもあって,それはたいてい,和風庭園を主とした当時の行楽施設だったという話を紹介しました。ところが,下高井戸の「暁雲園」と碑文谷の「角福園」というのが,何者なのか分かりませんでした。
さて,左の地図(クリックすると拡大します)は,「マイタウン目黒」のホームページに載っていた目黒区の公園を示す地図ですが,このうち「すずめの宿公園」というのが,何だか「角福園」の位置とかぶるように思えませんか? どちらも現在の柿の木坂交差点の南で,環状七号線の東側です。
この「すずめのお宿緑地公園」というのは,角田セイさんという方が持っていた土地で,筍の産地であったこのあたりで唯一現在も残っている竹林を主とした公園だということです(下の公園の由来を書いた看板をご覧ください)。ここは後に,角田セイさんの遺言によって国に寄付され,現在では目黒区立の公園になっています。つまりここは角田さんの筍園であったわけで,その昔「角福園」という名がついていた事もありえたかなと思えます。
しかしながら,まあ,私がそう思うだけで真相は全く分かりません。「すずめのお宿緑地公園」と「角福園」をつなぐ確かな証拠は,今のところ何もありません。調べてみると,角田家の一族が碑文谷の大地主らしく,「角福園」はその角田一族と関係ある何らかの「園」という推測は,あたっているような気がします。
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コメント
位置的に見て、現在の柿の木坂陸橋の付近かと思われます。すご傍にある日商岩井碑文谷マンションの辺りではないでしょうか。付近一帯を角田家が所有していたとも考えられます。
そもそも角福園が、如何様なものだったかは、想像に任せるしかないようです。
投稿: ウリ | 2016/12/02 00:41
ウリさん,コメントありがとうございます。
角福園は当時の地図で黄緑色にで表されていますから,やはり庭園か公園のような場所だった様に思えます。
でもなんの情報も無いんですよね。これだけネットが発達しても(笑)。
投稿: Alice堂 | 2016/12/05 22:55