エビス長者丸の先は・・・
先日,恵比寿ガーデンプレイスの南端崖下に,「エビス長者丸」という都電の終点があった事を書きました。そしてその先,遥か川崎までの延長計画があり,目黒不動付近までは線路用地が確保されていたらしい事も。
というわけで,その都電の未成線をたどって歩いてみました。
(左の航空写真は,google mapを張り合わせたものですが,クリックすると拡大します。)
先日の記事では,「エビス長者丸停留所から,公園というか恵比寿ガーデンプレースの高台の崖に突き当たり,さらにその先にはJR山手線が走っており,その線路を何とかして越すか潜るかしなければならず,いったいどうするつもりだったんだろうと思います。」と書いたのですが,長者丸電停が,先日の記事に写真を載せたマンションの南の境界付近と考えれば,辛うじて恵比寿ガーデンプレイスの丘にぶつからずになんとか抜けられます。その先の山の手線は何とかかわさなければなりませんが・・・。
さて,山手線をなんとか越えたところに,現在では赤い球体が突き刺さっている黒いビルが目立つ「日の丸自動車学校」があります。この自動車学校の敷地北端を通って道路の反対側に渡ると,いかにも未成線用地跡然とした細長い目黒区立の公園にがあります。
(下の< >内の文字をクリックすると,写真が開きます。)
この公園,航空写真で見ると向こう側に抜けられそうですが,残念ながら袋小路(というか袋公園)で抜けられません。仕方がないので回り道しました。
この公園の先はかなりの高低差のある崖になっており,ここをどのように電車線が崖下へ下りようとしたのか疑問です。
公園から先は南へカーブしていく区間ですが,航空写真を見ても用地跡の痕跡は分かりません。国土地理院の「国土変遷アーカイブ」で公開されている,米軍の撮影した戦後間もない頃の航空写真を見ると(米軍の航空写真,中央より左側,上下の真ん中辺),このカーブの区間は広場になっているようですから,ひょっとしたら車庫用地だったのかもしれません(私の想像ですから,信じないでください)。・・・と書いたんですが,この公園から先の区間は,現地へ行ってみると急な斜面の部分なんですね。現在ではこの斜面が開発されて,住宅やマンションがひな壇のように造成されている区間です。ここに車庫というのはちょっと無理でしょう。
カーブの先は,明らかに周りの建物とは方向が異なり,帯状に建物が連なる区画が現れます。これは誰が見ても線路用地跡です。その帯状の建物群の中で,最も大きい面積を占めるのが目黒区立の保育園。これも線路用地に従って細長い建物です(google mapの航空写真は少し前ものらしく,細長い敷地の自転車駐輪場として写っていますが,今では立派な保育園が細長く建っています。) 細長い区立公園といい,細長い区立保育園といい,都電の用地跡らしく,公共施設になっている場合が多いのですね。
<左側の長く延びた建物が区立保育園。道路が線路用地跡の様に錯覚しがちですが,実際は保育園の敷地が用地跡で,道路はその側道です。>
さて,その細長い用地に沿った,用地跡の側道ともいうべき道をたどっていくと,目黒通りにぶつかります。ちょうど,桜の名所である目黒川にかかる新橋の辺りです。この橋の辺りを斜めに目黒川を渡って,線路用地跡は南へ続きます。
<車が行きかっているのは,用地跡と斜めに交差する目黒通り。新橋上の光景です。用地跡は,さらに奥の方に続きます。>
目黒川を渡った先の用地は,現在では道路になっています。航空写真で見ると,この付近ではこの道路だけが周りの建物の向きやその他の道路の向きと異なる方角に走っており,いかにも「はじめから道路ではない」という雰囲気でいっぱいです。
<新橋付近の目黒川を渡ってすぐ,用地跡の道路。奥が不動前方向。>
この道路を南へ進むと,山手通りに斜めに突き当たりますが,そのわずか手前,右側に「イメージスタジオ109」のビルがあります。「109」の名前でわかるように,東急系のビルですが,ここはその昔,東急バスの不動前営業所でした。不動前営業所は,東急玉川線大橋車庫の跡にバスの大橋営業所が開設された時に廃止され,その後東名急行バスの車庫になったりした様ですが,それも廃止されて現在のビルになったそうです。
<右側の,上にパラボラの乗った建物がイメージスタジオ109>
そして山手通りとの交差点,この交差点の名前が「目黒不動」です。
線路用地跡の道は,山手通りを超えて100m弱程続きます。その道路の終点にあるのが・・・,また出てきました,目黒区立の施設です。しかもやはり線路用地跡に合わせたのであろう,細長い建物です。「目黒区立下目黒福祉工房」といいます。ことによったら,ここが都電不動前電停に予定されていたのかもしれません。
<突き当たりの3階建ての建物が区立下目黒福祉工房。左側に寄って,前庭に緑色の三角屋根の廻り階段が見える。>
この南には,もう細長い線路用地跡的な痕跡はありません。しかし,区立福祉工房の南は,幅広の用地を持つ,トミンハイムという賃貸マンションの敷地になります。幅広ですから,航空写真を見ても線路用地跡には見えないのですが,東京都住宅供給公社の土地だというのが,なんだか意味ありげです。ことによったら,こここそ車庫に予定されていた場所で,当時都電関連で買収されていた土地なのかもしれません(あくまでも想像ですが・・・)。
さて,東急目黒線の「不動前」駅はもう少し南にありますが,ここからは至近距離です。
・・・というわけで,多くの区間でかなりはっきりした線路用地跡でした。この都電郊外線は,当時の鉄道政策,「山手線内は東京都担当,山手線外は私鉄担当」という政策にもかかわらず,多くの私鉄が山手線内への乗り入れを画策していた当時,それをあきらめさせるバーターとして都電の郊外線計画が放棄されたといいます。
この「山手線内は東京都担当,山手線外は私鉄担当」という政策は,いったいどんな必要性があったのかわかりませんが,いかにもお役所然とした政策です。ある意味,今でもその政策を引きずっているわけですね。
ところで,google mapを張り合わせた上の地図ですが,目黒不動交差点はあっても,肝心の「目黒不動瀧泉寺」は見えません。目黒不動交差点は,「不動尊入口」というような位置にあり,滝のある肝心の寺は,この航空写真からは外れて,もっと左側(西側)にあるのです。
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