喜多暢之著「魏志倭人伝を探る」
以前このブログで,私の大好きな推理作家,北森鴻氏の「邪馬台」をKindle storeで購入した事を書きました。その作品は,邪馬台国に関する小説というよりも,北森作品だから購入したものでした。
しかし私は,邪馬台国についても,結構興味を持っています。今をさかのぼる事ウン十年前,小学生の頃に子供向けに書かれた邪馬台国の謎についての本を読んで以来,推理小説とともに「歴史の謎好き」になってしまいました。「歴史の謎好き」の原点が「邪馬台国」というわけです。
さて先日,新聞に邪馬台国と卑弥呼についての書籍広告が載り,その本が欲しいと思ったのです。そこでまず電子ブックになっていないか,アマゾンKindle storeで検索してみました。残念ながら新聞に載っていたお目当ての本は無かったのですが,代わりに出てきたのが今回紹介する「魏志倭人伝を探る」という本です。
魏志倭人伝は邪馬台国の記事が出てくる中国の歴史書ですが,そこに書いてある中国帯方から邪馬台国までの道程が問題となり,その解釈によって女王卑弥呼の国が九州にあったという説と近畿にあったという説の対立が生まれます。しかし,伊都国から「南,投馬国に至る。水行20日」,そして投馬国から「南,邪馬台国に至る。女王の都するところなり。南へ水行10日,陸行1月」という有名な魏志倭人伝の記事が問題で,こんなに南へ行ったら九州を出て,沖縄,台湾方面にいってしまう。そこで,方向の南は正しいが,距離は間違いだとして強引に九州内に投馬国,邪馬台国を設定するのが九州説,距離は正しいが方角が間違いで,南は東の間違いだとするのが近畿説。
本書では,「南,投馬国に至る」の「南」の解釈が独創的です。それで,「南」でありながら「東」へ行くわけです。
本書では魏志倭人伝に記載された倭の各国を,魏志倭人伝のみでなく,中国や韓国の別の歴史書を使って考察していきます。さらに,魏志倭人伝のいわゆる水行陸行の記事だけでなく,遺跡や鏡などの遺物,当時の地理的条件なども考察していきます。邪馬台国本では,「純粋に魏志倭人伝の情報だけを考慮した」とうたっている本もありますが,それだけでは推測・想像する部分が大きすぎます。他の要素も考慮してこそ,より正確な判断ができるのです。
邪馬台国を探求する場合,どうしても推察する部分が出てくるのは仕方ないのですが,これ迄読んだ邪馬台国の本では,その推察の部分で「何故そう考えたの?」と突っ込みを入れたくなる箇所が結構存在していました。論理のとんでもない飛躍や「そう考えるのが常識でしょ」で済ます事がままあるのです。しかし本書は,それがほとんどありません(あくまでも私の感覚ですが)。推察の箇所も,本書ではかなり納得できるのです。例えば,魏の使者が実際に邪馬台国まで行ったのかどうかについて,研究者によって意見が分かれるのですが,本書の出版社である「歴史探究社」(この出版社は喜多氏の個人出版社だと思います)のホームページで「絶対おすすめの一冊」として紹介されている安本美典氏の「邪馬台国見聞録」では,「邪馬台国側の使者が魏の都である洛陽を訪れ,魏の天子に謁見しているのだから,魏の使者も邪馬台国を訪れて卑弥呼の宮殿まで行ったと思われる」としているのですが,「当時魏は倭国を臣下だと思っていた筈で,邪馬台国側が洛陽まで行っているとしても,魏側が邪馬台国まで行っているとは限らないじゃないか」と思ってしまうのです。一方喜多氏は,「魏志倭人伝より数百年後に邪馬台国を訪れた中国の使節の報告書によれば『東夷人は里数を知らない。ただ日数で計っている』と述べている→二つの場所がどのくらいは離れているかについて,中国人は距離で述べるのに対して,倭人は距離ではなく日数で述べる→魏志倭人伝では,伊都国までの行程は里数で表し投馬国からは日数で表している→魏の使者は伊都国までは行ったが,投馬国から先は行っておらず,投馬国から邪馬台国までの道程は倭人からの伝聞なのではないか」と考えています。二つの説を比べると,喜多氏の推測の方が本当らしく思えるのです。
とにかく本書を読んでいる最中は,なかなか面白い謎の探求でした。邪馬台国の場所が比定され本書が読了してしまった後も,「もっと読みたい」と思ったほどです。
最後にちょっと気になった点を記すと,誤植,文字の間違えが多いんですよね(変換間違いだらけのブログを書いている私が言うのもなんですが・・・)。本書は電子ブックのみによる出版書であり,第二版というのはないのでしょうが,直す機会があれば是非訂正していただければと思います。とても面白い本を読ませていただきました。著者に感謝!
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