森博嗣の短編集「地球儀のスライス」
「地球儀のスライス」は10編の短編から成る短編集です。そのうちの2編は犀川助教授と西之園萌絵によるS&Mシリーズの一遍,さらに後にVシリーズのレギュラーになる女装の少林寺拳法の達人である医学生,小鳥遊練無くんを主人公にしたものが一遍,あとは(概ね)ノンシリーズです。
シリーズ作はさておき,その他の短編も不思議な謎めいた小説になっています。ただ,その謎めいた雰囲気が,最後にスパット落ちるかというとそうでもなく,謎のまま置いておかれる事もあるので,推理小説ファンとしては消化不良になる場合もあります。普通ならもう一つ突っ込む所を突っ込まないで,スルーしてしまっている感じ,とでもいいましょうか。
しかしこの中の一遍,「僕に似た人」もそんなスパッと落ちないまま放置されるパターンかと思っていたら,次の作品,「石塔の屋根飾り」の冒頭を読んで,そういう趣向だったのかと合点が行きました。
「僕に似た人」では,20階に住んでいる主人公の少年「僕」の一家がマンションに引っ越してきた時,なぜとりわけ21階の家に挨拶に行ったのか,「僕」のお母さんが21階の子,「まあ君」の事を,「あの子はもう立派な大人」だと言った訳,「僕」が引っ越す事になった時,21階の「まあ君」の美しいお母さんが名残惜しそうに「僕」に接しているのに,「僕」とよく遊んでいた「まあ君」を玄関に呼ぶ事もなく,「僕」に言われてはじめて「僕」を奥に居た「まあ君」の所に連れて行った事など,ちょっとした,ちいさな不思議な事実がありました。それが未消化なまま終わった訳ですが,次の短編「石塔の屋根飾り」の冒頭で「21階」が出てきた時,ハタと気づきました。21階に住む美しい女性と,老年の男性と,「まあ君」の正体さえ理解すれば,謎は自ずと解けるのわけです。
「僕」が別れを告げに「まあ君」に会うシーンも,ちょっと変な雰囲気があります。「僕」が「まあ君」の隣に座り,「まあ君,もう,会えないよ」と言った時も,まあ君は「僕」の顔をじろじろと見ているだけで何も言いません。そして「僕」は「まあ君」に抱きついて顔をつけてしばらくじっとしていました。最近のある種のラノベならば,少年同士のこんなシーンは珍しくありせん。森先生は1999年の作品に,既にそれを盛り込んでいる・・・・・,と思ったのですが,21階の事を理解すれば,「僕」の行為も,「まあ君」の反応も,普通にあり得るものなのです。数々の違和感を最後の一言,「21階」でひっくり返す,しかも次の短編の冒頭でそれを気づかせるという手法が,サスガだと思いました。
他のスパッと割り切れない作品も,ひょっとしたらそのような趣向があるのかもしれませんが,わたしにはわかりませんでした。
| 固定リンク
コメント