奥多摩に行きました〜JR奥多摩駅の界隈
奥多摩に行ってきました。文字通りの奥多摩,つまりJR青梅線の終点,奥多摩駅界隈です。
JR奥多摩駅を降りて,少し戻ってビジターセンターの間を通って踏切を渡ります。ちなみに,踏切から見た奥多摩駅がこんな具合です。
氷川小学校の脇を登っていきます。かなり急坂で,やがて下の写真の様に目の下に小学校が見える様なレベルまで登ります。小学校のすぐ向こうに奥多摩駅があって,さっきの踏切のところで見たE233系電車が見えるのですが,認識するには写真が小さすぎますね。
やがて道の行く手に工場施設が見えてきます。奥多摩工業氷川工場です。奥多摩の奥地から運んだ石灰石を石灰にする,セメントの原料を製造する工場です。
やがて周りが工場になって,「この道を歩いていっていいのかしら?」という気にもなってくるのですが,気にせずに歩いていきます。
この茶色の太いパイプを越えれば工場は終わり。普通の山道に変わります。
そして見えてくるのが線路です。もっと山奥の日原からこの工場へ石灰石を運ぶトロッコの線路。線路の中央に動くケーブルがあり,一台一台のトロッコがそれを掴んでケーブルと共に動きます。ケーブルカーと同じ原理ですね。奥多摩工業曳索鉄道氷川線という無人運転のトロッコです。ほとんど山の中のトンネルを通りますが,鍾乳洞で有名な日原の手前,日原街道を横切るための鉄橋など,数カ所で地上に出ています。車に乗って普通に見られるのはその鉄橋の箇所くらいでしょう。写真の場所は,私が辿った車も通わぬ山道からしか見る事ができません。
写真では分かりにくいかもしれませんが,複線の線路のうち左側だけが光っており,右側は光っていないのは,負荷の違いでしょうね。左側の線路が重い石灰石を工場に運んでくる側で,右側は空のトロッコが山奥の採鉱場に戻っていく線路です。
さて道路は細い山道になっていきます。山道の左下は小川が流れ,沢になっていて,そこで多分ワサビだと思いますが,栽培されていました。奥多摩はワサビの産地として知られています。
さらに先に進みます。道の傍の小さな滝などを見ながら進んでいきます。
やがて民家が見え,山の上の方にある集落に至ります。この集落は石積みが見事で,まるで城址のように見えます。
下の写真は,集落から降りる道路沿いにあった水道施設です。この集落の名前は「余ヶ野」だという事が分かります。地図によっては「除ヶ野」と書いてあるものもあります。この水道施設に「東京都水道局」の文字があり,山奥であるかの様に感じられたこの場所も,まぎれもなく「東京都内」である事を主張しています。
余ヶ野の集落からは,舗装道路を降りていきます。
途中にコンクリート橋が見えます。現在では休止されている小河内ダム(奥多摩湖)への鉄道の橋です。
太陽光のためにちょっと見えにくくなっているので,もっと下に降りた時に撮影した反対側から撮った橋の写真を載せます。
この線はかつて奥多摩工業氷川工場の中を通って,私が降りたJR奥多摩駅につながっていました。小河内ダム建設の為の専用線ですが,一時西武鉄道が所有していました。西武拝島線の拝島からJRに乗り入れて奥多摩からこの路線に入り,西武新宿から奥多摩湖まで電車を走らせて奥多摩湖周辺の観光開発を行おうと狙ったものでした。その計画も中止となり,現在ではどういうわけか奥多摩工業がこの専用線を所有しています。奥多摩工業の前身は,JR青梅線の御岳(当時は青梅鉄道の終点だった)-奥多摩(当時は氷川という駅名だった)間を作った奥多摩電気鉄道ですから,まんざら鉄道に関係無いとはいえません。もっとも青梅線は石灰石輸送の為の鉄道でしたから,鉄道会社が石灰生産の会社になったともいえない様です。奥多摩電気鉄道の路線は,建設中に青梅鉄道と共に国に買収され,国鉄線として開通しました。それが今のJR青梅線です。そんな鉄道会社であった奥多摩工業は,この専用線をどうするつもりなんでしょうね。1952年の開通からもう60年以上経っているわけで,橋梁やトンネル崩壊に対する対策などを行わなければならない事になると思いますが,石灰石鉱山開発にでも役立てるつもりがあるのでしょうか?
さて,道路をどんどん降りていきます。途中で先ほどの専用線コンクリート橋に続く休止鉄道の高架橋をくぐります。
この高架橋の少し先(奥多摩駅側)に,専用線のトンネルが見えました。この専用線は蒸気機関車が使われましたが,そのトンネルは将来の電化に備えて断面積が大きく作られていたといいます。
そして見えてくるのが奥多摩工業氷川工場です。下の写真の左側に小さく高架線のような構造物が見えますが,専用線の線路がここに入ってきます。
この工場はいつ見てもインパクトがあるので,別のアングルの写真も載せます。円筒形と直方体の大小の構造物を,無秩序に積み重ねていったような形状ですが,それぞれの円筒や直方体にも意味があり,合理的な配置になっているのでしょうね。
さて,ここまで来れば奥多摩駅はすぐそこです。今回の記事の最初の写真,奥多摩駅に戻りました。
今回の奥多摩駅周辺の散策は,曳索鉄道氷川線を見学に行った様なものですが,地図で見るとこの曳索鉄道のターミナルヤードが,私が歩いた工場を突っ切る道路の右方にあるようです。しかし道路の右側というと,高い崖になっています。おそらくヤードはこの崖の上か崖の向こう側にあるものと思われます。私が歩いた道路からは見る事ができません。このヤードの様子をかねがね見たいと思っていました。
そんな写真をネットで探していたのですが,出てきました。Googleで検索して,5頁目くらいに載っていたサイトです。「青春コレクション〜つねぴょんの撮り鉄人生〜」というサイトの中の一ベージにその写真がありました。1977年の写真だという事で,もう36年前になりますが,ヤードの様子は今でも大して変わっていない様な気がします。
この曵き鉄線,わざわざ氷川線という名がついているからには別の線があるのか思われるのですが,あるんですね,別の線が。曳索鉄道三つ又線というのがあるそうです。氷川線の奥のターミナル,日原の奥,三つ又というところと日原を結ぶ曳索鉄道があるそうです。その様子が同じサイトの別の頁に載っています。三つ又線はヤードの他は全てトンネルになっているらしく,普通の人が地上で見る事のできる場所はないようです。また前述の頁には,三つ又線に沿って三つ又電車線というのが存在している事が書かれており,写真が載っています。実に興味深いサイトです。サイトの開設者であるつねぴょんさんには,感謝の言葉もありません。
この曳索鉄道三つ又線は,その後ベルトコンベアーに取って代わられたというウワサがあるそうで,もしそれが本当なら何だか残念です。
さて今回私がたどったルートは,既に歩いた方がいてネット上にその様子がアップされています。またこのルートの様子を全て動画に撮った方がいて,YouTubeに上がっています。これらの方々のおかげで,工場の中と見まがう道路も安心して歩く事ができました。何しろ完全に工場の中としか思えませんからね。
私は奥多摩小学校の脇を通っていったのですが,余ヶ野集落への正規のルート,舗装道路側から逆に回るのは難しい様に思われます。何回か枝分かれした道をたどっていかなければならず,一本道ではありません。私がたどったルートならば,余ヶ野集落までは一本道といってよく(奥多摩工業の,「この先は工場内なので,入らないでね」という意味の看板に従って,「工場内」で無い方,無い方に行けばいい),余ヶ野集落から駅までの帰り道は,山の下の方,下の方に歩いていけばいいので,全く迷う事がありません。
今回の散策は,東京都内の散策でしたが,1時間程度の行程でした。横浜市の我が家から奥多摩駅まで電車で行く方が,余程時間がかかりました。
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