西武多摩川線の調布飛行場引き込み線をたずねて
中央線の武蔵境から南に伸びる西武多摩川線は,池袋線,新宿線という西武本線系統と接続していない支線です。西武鉄道というと,東京の南部の調布市・府中市とは関係ない様な気になりますが,この多摩川線は正に調布市・府中市を走る鉄道です。
この多摩川線は,本来は多摩川の砂利を運搬する為の鉄道として,多摩鉄道という独立した私鉄として1917年に開通しました。
東京で「多摩川線」というと,ずっと後から名乗ったにもかかわらず,東急多摩川線を思い浮かべるのが普通で,西武多摩川線沿線でもそうらしいのです。西武多摩川線は,沿線では「是政線」とよぶ方が多いようです。
そんな多摩川線ですが,昔は幾つかの引き込み線がありました。その一つは,大分前にこのブログでも紹介した中島航空機三鷹研究所への引き込み線です。
そしてもう一本,もっと南の方に,三鷹研究所と関係浅からぬ調布飛行場への引き込み線がありました。「関係浅からぬ」というのは,三鷹研究所で完成した試作機をこの空港から飛ばすために,研究所と飛行場を結ぶ飛行機専用の導入路があったそうです。(下の写真はクリックすると拡大します。)
調布飛行場は,大日本帝国陸軍が使用した飛行場です。戦後はアメリカ軍が接収し,1955年に一部,1973年に接収が解除された後は,広大な飛行場の一部が学校(東京外語大,警察大など),グランド,公園(武蔵野の森公園)になり,残った部分が東京都が運営する調布飛行場(伊豆諸島との間に小型機による定期便がある)となっています。飛行場の滑走路は昔の物を撤去して新たに作られており,あまり昔の面影はないようです。
さて,そんな飛行場への引き込み線は飛行場建設に使われ,その後も飛行場内の工場などへの輸送に使われていたそうです。米軍に接収された後は,飛行場敷地の一部が米陸軍総合補給廠 糧食補給部 第8002部隊になったというのですが,これは野菜の水耕栽培を担当する部隊でした。日本で流通している有機栽培野菜(つまり人糞堆肥を使用した野菜)を嫌い,米国人向けに特別に化学肥料で野菜を作ったわけです。今となっては,どっちが体によかったのか疑問ですが,その野菜を出荷する為にこの引き込み線が使われたという事です。
さて多摩川線の飛行場への引き込み線は,本線の現在の多磨駅の北方から東南方向に分岐し,飛行場敷地に入ったところで二手に分かれていました。一本は滑走路の西側,水耕栽培場に近い方へ,一本は滑走路の東側へ向かっていました。東側の終点には,接収前は東京飛行機製作所,後に倉敷飛行機という名前になる会社の飛行機工場がありました。
西側の引き込み線跡はほとんどグランドとなっているらしく,全く痕跡がありません。東側の線跡も痕跡がありませんが,今その終点付近がどうなっているのか,散歩がてら見に行ったのです。
例によってJR南武線で南多摩駅へ。そこで降りて多摩川を「是政橋」という大きな橋で渡ります。川の反対側にあるのが,西武多摩川線の終点,是政駅です。そこから電車に乗り,多磨駅で降りました。この駅は多磨墓地前という駅から駅名変更した物ですが,大きな大学の最寄り駅になり,かなり賑わっていました。単線の地味な支線ですが,多摩川線はなかなか繁盛する様になったようです。
そこからしばらく武蔵野の森公園(旧飛行場敷地)の北側の道路を歩き,適当なところで公園に入りました。飛行場を右に眺めながら滑走路の東側へ回ります。羽田や成田の様な大きな飛行場ではありませんが,飛行場というのは独特の心躍る雰囲気がありますね。
さて公園の敷地から東に出て一般道路を南へ行くとJAXA(宇宙航空研究開発機構)があります。ここが昔のッ倉敷飛行機工場の一部だそうで,その敷地内にかつての引き込み線の終点があったようです。写真はJAXAの正門から奥の方を覗いた景色ですが,この奥へ向かう道路自身が線路跡かどうかはわかりませんが,ほぼこの道路に平行に線路があったのだと思います。
下の写真は,公園内にあった説明板の一部ですが,引き込み線は「倉敷飛行機工場」と書いた大きな工場内に引き込まれていたといいます。
調布飛行場への引き込み線跡は,本線からの分岐点付近の武蔵野学園小学校の校庭の形状や一部の建物の並び方程度しか痕跡が残っていません。本線関係の線跡ならば,公園内にモニュメント的な道路などが作られるかもしれませんが,引き込み線ではそんな事もなく,公園内に線路があった事など全く感じないのが残念です。
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