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2014/05/18

集団的自衛権って・・・・・

Jieiken 5月15日の安倍首相の会見,集団的自衛権について国民に説明を行ったあの会見です。
 この集団的自衛権は,いままでも権利として日本は持っているが,憲法によって行使は禁止されているという解釈でした。それを,いまの憲法の範囲内でも,行使できるのだと主張するのが安倍首相の会見です。
 今回の集団的自衛権の問題は,2つの問題が含まれています。

 1.集団的自衛権は行使すべきなのか
 2.行使する場合,現在の憲法の解釈
   で対応するのか(「できるのか」
   を含む),それとも憲法改正が
   必要なのか?

 正直言って,今の私は,1に対しては「わからない」,2に対しては,「これは憲法改正で行くべきでしょう」という状態です。
 私的には簡単な2の方は,様々な意見の人から成るというわけではない,首相の勝手でえらんだメンバーから成る,首相の私的な諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書を,首相が取捨選択して(国連の集団安全保障参加などは,オミットされてしまう様です),自身の考えで閣議決定してしまうというもので,「重要な問題の割にはお手軽すぎるじゃありませんか」と思っています。
 これでは,歴代首相が集団的自衛権を自由に手玉にとり,首相が変わる度にコロコロ見解が変わる可能性があるわけです。いわば日本の命運さえ左右する「集団的自衛権」ですから,そんなものがコロコロ変わっていいわけはありません。憲法が政権をきっちり制御している事になりません。ここはきっちり憲法改正をすべきでしょう。そもそも,「集団的自衛権はいままでも権利として日本は持っているが,憲法によって行使は禁止されている」という解釈でいたのですから,行使できる様にするには,憲法改正を行なうのが当然と考えています。
 一方,集団的自衛権の行使が憲法違反だとするならば憲法改正という事になるが,集団的自衛権の行使は憲法に違反していないので憲法を変える必要がないという意見があります。しかし,現在の憲法が集団的自衛権に付いて曖昧なので,憲法を改正して,しっかり規定するべきなのです。それでこそ,政権への縛りになるのです。集団的自衛権の行使が憲法違反だからではなく,憲法の規定が曖昧で,憲法違反かどうかさえわからないのだから,はっきりさせるために改正しようという事です。

 もちろん,1で「集団的自衛権を行使すべきだ」という結論が出てからの話です。実際のところ,この1がくせ者です。
 今回の首相の会見で,集団的自衛権の行使ができなければ成らないと考える例として挙げた事例が,心にぐさっとくるんですね。
 集団的自衛権を行使しなければ,「同盟国であり能力を有する米国が戦地から脱出する日本人を救助・輸送している時に,日本人が攻撃を受けていなければ,自衛隊がこの米国戦を守る事ができない」という例です。
 イラン・イラク戦争の時,イラク大統領だったサダム・フセインは「48時間後,イラン上空を飛ぶすべての航空機を撃墜する」と突然宣言しました。各国はイランから自国民の救出を計りましたが,日本はJAL等の民間航空機を戦地へ派遣するわけにもいかず,自衛隊機も海外派遣できず,結局トルコ首相の決断で,トルコ航空機が日本人を救助してトルコに運んでくれたという事件がありました。
 このとき,同僚がイランに出張していて,私も東京で気をもんでいました。その時の事が鮮明に思い出されて,切実な問題に思えるのです。
 この時の状態は米軍が日本人を輸送していたわけではなく,首相が会談で挙げた例とはシチュエーションが少し違います。イラン・イラク戦争の時,当時と異なる現在の情況でも,自衛隊がイランにいる日本人を助けられないのかどうか,それができないのなら,たしかに集団的自衛権の行使も考えなければならないと思います。
 しかし米国船を日本が守っていて,戦争当事国が攻撃を仕掛けてきて,それを自衛隊が撃沈したとしたら,参戦していなかった日本が参戦する情況になるでしょうね。日本がどう思おうと,少なくとも相手国は日本が参戦してきたと思うでしょう。集団的自衛権の行使を決めるには,それなりの覚悟が必要という事です。
 我々はどこまで覚悟ができるのでしょう。

 一方,現実に日本にアメリカ軍が居て,日本から,日本が直接関係していないアジアや中東の紛争に出撃して行く。食料や燃料の補給も日本で行なわれている。
 そんな情況は,すでに集団的自衛権が発動されていると考えられるのではないかとも思えます。もう米軍が駐留しているという時点で,集団的自衛権が行使されている様に思えるのです。
 湾岸戦争の時,もちろん日本は紛争自体には自衛隊を派遣しませんでした。しかし資金を出しています。米軍の艦船や爆撃機は日本から派遣されていました。
 そんな情況で,資金だけでなく,自衛隊を派遣して,人員まで差し出しますかという問題でもあります。

 1の集団的自衛権の行使について,私の中では行使すべきかどうか,未だに結論が出ていません。漠然とした理念的な話ではなく,たくさんの具体的事例を元に考えてみたいというところです。世の中の議論は,まず個人的な理念ありきという場合が多いのです。右側に行使すべきではないという意見の人がいて,左側に行使すべきであるという意見の人がいて,その中央部分に私の様などちらにすべきか分からないという人がいる。ネットなどで活発に意見を行っているのは,もちろん両側の人達ですが,その主張がどうも結論ありきな部分もあり,観念的な場合もあり,真ん中でウロウロしている人には参考にならない場合があるんですよね。より具体的な事例をなるべくたくさん示して,ウロウロ人種にも判断できる様にしていただきたいと思います。自分はこう思うという意見は必要ではありません。こんな事がおこるという具体例の方が,より判断に役立つ様に思います。観念的で,大括りで,こうあるべきというような意見は,これまでもたくさん聞いているのですから。

 15日の首相会見の日,会場の外で「戦争反対」と書いたプラカードを掲げた人々のデモがありました。しかしこの人達は,いったい「集団的自衛権を行使すべき」と言っているのか,「行使すべきでない」と言っているのか分からない。一般的に考えれば,「行使すべきでない」と言っていると考えられますが,あるキュレーションサイト(ニュースまとめサイト)中のコメントで,「集団的自衛権が行使できると宣言する事は,ある意味で戦争抑止につながり,戦争を防止できる」と言っている人がいました。その意見に賛成するかどうかは別として,そんなひとが「戦争反対」というプラカードを見ると,「プラカードを持ったこの人達は,行使容認に賛成している人達なんだ」と思うかもしれません。大括りの観念的な言葉は,この問題を判断する上で,何の役にも立ちません。

(上の写真は,アマゾン書店のHPより拝借しました。)

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