南武線川崎河岸貨物支線の掘り割り部分の写真
先頃,南武線川崎河岸貨物支線について,このブログで紹介しました。南武鉄道の川崎旅客ターミナルと対をなす川崎貨物ターミナル,川崎河岸貨物駅。ここから府中街道を越えて,一本の線路が多摩川へ伸び,両側が掘り割りになった船への荷積み場が作られていました。
この掘り割り部分の様子が,一体どんな風になっていたのだろうとかねがね思っていたら,一枚の写真を見つけました。
多摩川新聞社からでている五味洋治著の 「南武線物語」という本の中です。この本は,東京新聞川崎版に連載されていたコラムを本の形にまとめたものらしい。その中に南武線川崎河岸貨物支線の話も出てきて,そこに写真が添えられていました。この写真を載せたいのは山々ですが,著作権の関係で,このブログには載せてはならないと思います。
本は既に絶版らしく,アマゾン書店では検索で出てきますが,あるのは数千円の古本ばかりです。
まあ通常は図書館で見るしかありません。私は,川崎市立中原図書館の郷土文献の書棚で見つけました。ここには,東京新聞のコラムをコピーして製本したものもありました。こちらの方はどうしたんでしょうねえ。ひょっとして,東京新聞の記者である著者がスクラップして,川崎市に寄付したものかもしれません。書籍版は,このコラム記事を加筆したものらしいです。
その写真を見ると,砂利を貨車から船に積み替えるため,漏斗状の装置がいくつも掘り割りに向かって突き出ています。背景に煙突があり,本文の記事から,これは東京製鉄の煙突らしい。川崎河岸貨物駅から専用線が伸びていた東京製鉄向けの原料なども,掘り割りの川崎河岸貨物駅から工場へ陸揚げ輸送していたのではないかと思っていたのですが(東京製鉄への引き込み線が,川崎河岸貨物駅方向から分岐していて,そんな輸送に都合が良さそうに見える),この漏斗状の装置を見ると,様々な文献に書いてある通り,南武線沿線の多摩川から採取した砂利を運んで来て,ここで船に積み込むための専用駅だったというのが正解らしく思えます。
さて,写真の後方に,立派な土手が見えます。土手があったら線路がこの土手を越えて河原に入り込まねばならず,ことによったら満足な土手はなかったのではないかと思っていたのですが,立派な土手が作られており,門形にその土手がくりぬかれて,貨物線が掘り割りの中央に進出していたらしいです。
まあ何事も,探せば出てくるものですね。以前,東京奥多摩の奥多摩工業曵き鉄線の工場内ターミナルの写真がないものかと探していたら,結局出てきたという事がありました。いい時代ですね。
(写真は,二つの掘り割りとその中央の線路部分を持つ,川崎河岸貨物駅の多摩川河原部分の航空写真。ここで紹介した本の中の写真ではありません。)
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