最初から疑わしい人物が結局真犯人であったというのに,おもしろいミステリー
最近クリスティーの推理小説をドラマ化した,デヴィッド・スーシェのポアロシリーズをDVDで見ています。
クリスティーの作品はほとんど全て読み終わってしまい,これ以上読もうとすると,おぼろげにしか覚えていない作品を読み返すしかありません。ところが読み始めていいところまでいくと,忘れていると思っていた犯人や真相が脳裏に甦ってしまいます。だからこれ以上クリスティーを楽しむには,ドラマや映画を見るしかないという事になってしまうのです。
さて一般的に推理小説というのは,初めに疑わしい人物が現われれば,その人は真犯人ではないというのが定石です。ところが,最近DVDで見たクリスティーの有名な長編は,そんな定石が覆されています。初めからいかにも犯人らしかった人が,結局真犯人なのです。
そんなミステリーはどこが面白いのかという事になりますが,さすがはミステリーの女王,そんなプロットでも「えっ,この人が犯人なの!」という犯人の意外性を演出しているのはさすがです。普通ならば,最初から疑わしい人物が犯人であれば何の意外性もなく,「しょうも無いミステリー」という事になるのですが,そうなっていない。
これはひとえに,「最初から犯人らしい人は真犯人でありえない」という読者の思いを,クリスティーが途中で強力に補強しているからです。
物語の半ばで,真犯人が警察に逮捕されそうになるのですが(なにしろ最初から犯人ぽいのだから),それを名探偵ポアロは「なんてバカなことをするんだ!」と叫んで,アリバイを示してその逮捕を妨害するのです。ここで読者は,「ポアロが一生懸命逮捕されないように努力している。やっぱり真犯人ではないんだ。」という思いが生まれ,それを信じ込んでしまいます。そのために最後にポアロによって真犯人が明かされると,読者はびっくりしてしまうのです。
なぜポアロは,真犯人と分かっていながらその逮捕を妨げるのか? 推理小説に詳しい方ならば想像がつくかもしれませんね。
実際のところこの作品の見事な構造を,本を読んだ段階では意識できませんでした。読み終わっても,あの人が真犯人だったんだという驚きしか意識していなかったんです。しかし今回ドラマ版を見て,この構造がよくわかりました。本では,細かいプロットが複雑で,一本の筋が見えにくいのです。クリスティーは読者を翻弄する名人です。特にベテランの域に入った頃の作品ではそれが顕著です。
クリスティーはまたサプライズエンディングの名人です。最高のサプライズは意外な犯人です。特に有名な,物語りの語り手が犯人だとか,ポアロと一緒に捜査をしていた警察官が犯人とか,探偵自身が犯人とか,様々な意外な犯人を作ってきました。物語りの全員が殺されてしまう物もありますね。今回のこの作品もそんな意外な犯人を描くものです。
今回は特に作品名を秘してクリスティの長編を紹介しました。読んでいる方なら,「ああ,あれか」と思い当たると思います。クリスティーの作品群のなかでも特にエポックメーキングな,あの作品ですよ。
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