国の登録有形文化財「川崎河港水門」
写真は1923年に完成した川崎河港水門です。第一次大戦後の好景気に刺激され,川崎を縦断する運河が計画され,多摩川と運河を仕切る水門として作られたのがこの水門です。
二本の塔のてっぺんには,当時の川崎の特産品であった葡萄,梨,桃を象った飾りが付けられています。しかしそういわれてよく見れば確かに前述の三品らしいのですが,初め見たときの印象はブロッコリー・・・・・。
この水門,現在では国の登録有形文化財となっています。
さてこの水門の向うの川岸が,18歳の少年による中一少年殺害現場です。水門の向うの川岸には,たくさんの花が供えられ,この日も花を持って追悼にくる人が絶えません。実際,京浜急行川崎駅の大師線ホームには,何人もの花束を抱えた人々がいました。多分鈴木町で降りて,現場に行く人々でしょう。犯行事実が明らかになってきて,頸動脈に達するまで傷つける犯行もさる事ながら,真冬の冷たい川で泳がせた,しかもカッターで斬りつけた後も泳がせたとか,携帯を取り上げそれを返してもらいたくて彼らについて行くしか無かったとか,一ヶ月前には土下座状態でぼこぼこに殴られたとか,まだ13歳だった被害者の容赦ない状況に,事後であるが追悼させて貰いたい気持ちでいっぱいですし,追悼しかできないのが残念でなりません。
昨日,少年法について書きましたが,19歳以下の犯人の氏名や写真の公表と更正の可能性をふまえた刑罰は分けて考えるべきだと思っています。昨日も言いましたが,犯人の氏名や写真を見たいのか,見て何になるのかという事は確かに疑問です。どうせ半年もすれば,氏名も写真も忘れてしまうし,少年の顔の印象なんて歳を取れば変わってしまうんだから。
ところで,この事件の犯人は18歳で,法律上課す事ができる最高刑はもはや死刑なのですが,少年の衣服を公園で燃やしたり,犯行時家に居たと言ったり(両親もそういっていた),初め黙秘したり,現場検証の時点との影から心で被害者少年と対話して謝ったと言ったり,稚拙な責任逃れ,少しでも量刑を軽くしたいという自分本位の気持ちしか感じない。以前年少者への暴力で少年院に入って出て来た後,なるべくおとなしく従順を装っていれば,だますのはたやすいもんだと友人に語っていたという話もあって,ネット情報ですからこれが本当の話かどうか疑問とはいえ,この18歳ならありそうな話だなと思います。実際,こんな中年のようなコズルさを身につけた18歳というのも珍しいと思います。
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