速さにこだわる報道の終わり,読者と協業,価値向上
最近日経新聞に「速さにこだわる報道の終わり,読者と協業,価値向上」という記事が載りました。
マスメディアはこれまで,情報そのものに価値があると考えていた。そのために誰よりも速く知らせることをスクープと考えて来た事,それがネット社会になって読者との協業で,情報の価値が高まっていく,深化していく事を述べた物です。
従来のマスコミのネット利用といえば,ツイッターなどでの告知や周知,目撃者が撮った写真やコメントを求めるという事に留まっていたのに対して,関係者である読者との協業で事件の背景や表に現れていない情報を探るなど,さらにその先へネット利用が進みつつあるという記事でした。
確かに事件をはじめに知るのは記者ではなく,一般人です。最近のハリソン・フォードの飛行機が墜落する映像も一般目撃者が撮った物で,スマホ時代,そんな映像がテレビニュースでもたくさん紹介されています。しかしそこまでならばこれまでのネット利用に過ぎません。そこまでなら「記事をつくるのはメディア側だとの意識が抜けきっていない」と日経新聞の記事では指摘しています。
そこから進んで,事件現場で何が起きたのか,どんな背景があるのか,裏の事情はないのかなど,ネットの中の証言を利用,検証して,事件を掘り下げ,フォーカスを当てていくという事が求められるという事です。
これは日経新聞の記事で,既存マスメディア側からのネットへのアプローチなのですが,ネット側からはとかく既存マスメディアは要らないという意見が目立ちます。事件が起こったとたんにネット上でその事が伝えられ,たくさんの記事がネット上に現れるのだから,ネットだけあれば十分と言う考え方です。
しかしネットの情報は誤りが多く,釣りやアクセス数のみを求めるセンセーショナルな情報も多いのです。そんな意図的な不確かさだけではなく,以前このブログに書いた渋谷の火災のニュースの様に,その場にいて事件に遭遇し向き合った人の興奮で,小さな事も意図的ではなく大きくアップされる事もあります。
そんなネット情報を検証し,要らない情報と必要な情報を選別する力は,ネットだけでは不十分で,どうしても既存メディアの取材力,編集力を必要とします。
最近起こった川崎の中一殺害事件。このとき,遺体発見直後には既に犯人の写真がネット上にアップされ,その写真の特徴的なポーズから,後にフジテレビのニュースで総ボカシで紹介された警察に捕まったという犯人が,正にネット上で紹介された18歳の少年である事がわかりました。今回の週刊新潮の記事の写真も,それを使っているといいます。
ネットに出た時点では,どうせネット情報なんだから・・・と信用できないと思っていたのが(実際犯人の一部といわれたグループは川崎の中一殺人事件とは関係無かった),フジが総ボカシで写真をテレビに出した時点で,あれが本当に犯人だったんだと思う・・・。つまり,信用できないネット情報が,テレビや雑誌に出た時点で,ネット情報が確認され,その正否が確定する。既存マスメディアには,そんな役割もあります。だからこそ,既存メディアには正確さを求めるわけです。あんな慰安婦問題のようなガセネタではなく・・・・・。
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