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2015/04/15

京急大師線の駅の址

Rokugobashi1Rokugobashi2Rokugobashi3Rokugobashi4Rokugobashi5 川崎駅から多摩川へ出て,土手を歩いていくと(といっても,ずっと土手を歩くわけではなく,川沿いの建物をかわすために一部道路に降りたりしなければならないのですが),京急川崎駅を出た京浜急行大師線の線路が土手に寄り添ってきます。その土手際の線路に,小さなホーム跡らしい場所があります。左の最初の写真が上り方向,次の写真が下り方向で,双方は相対しています。
 これは普通に見れば相対式のホーム跡です。実際この辺りに,大師線の前身,大師電気鉄道の「六郷橋」駅がありました。そして,多摩川の土手から線路をまたぐ陸橋を渡って道路に出れば,街路灯の柱には,三番目の写真の様な表示がありました(写真をクリックすると拡大します)。「大師電気鉄道六郷橋停留所跡」。
 まさにこの矢印の方向にさっきのホームらしき跡があったので,それがが駅跡なんだろうと思われます。
 大師電気鉄道は1899年に開業,真言宗の大本山,川崎大師平間寺への参拝客を運ぶため,川崎六郷橋から川崎大師まで,関東では初めて,日本では京都市電に次いで電車を橋らせた鉄道です。
 現在のJR,当時の鉄道省川崎駅からは遠い六郷橋をターミナルとしたのは,それまで川崎大師への参拝を担っていた人力車の反対にあったからだといわれています。川崎駅から六郷橋までは人力車を使うという事で,電車との連絡切符も売り出されていたそうです。
 それでもその三年後には現在の京急川崎駅まで乗り入れます。そもそも,完全に鉄道省の川崎駅に横付けしなかったのは,自社で東京・横浜へ線路を延ばして集客する計画があったからという事です。そして大師電気鉄道は開業後3ヶ月で京浜電気鉄道に改名され,計画どおり川崎から東京品川,横浜へ線路を延ばしていきました。さらに戦争中の東京急行の成立,戦後の分離で京浜急行が誕生して現在に至ります。現在の京急本線は品川ー浦賀間を指していますが,本来はこの大師線こそ歴史的京急本線であるわけです。
 さて先ほどの「六郷橋停留所址」の表示のある街路灯の道路,これが旧東海道で,道路際に石碑がありました(石碑の写真をクリックすると拡大します)。ここから東京側へは,六郷橋ならぬ六郷の渡しという舟連絡で多摩川を渡っていました。家康の時代には六郷大橋があったのですが,洪水で流された後,200年間渡し船の時代が続いたそうです。その説明板が最後の写真です(クリックすると拡大します)。ここら辺りはまた東海道の川崎宿だったわけですね。
 ところで,先ほどの六郷橋駅址ですが,私などよりもっと鉄道通の友人の話では,開通時の六郷橋駅ではなく,1926年に六郷橋で多摩川を渡る現在の国道15号線が改修されたときに線路が一部移転し,六郷橋駅も移転したが,その際の六郷橋駅址なんだとか。

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