デジタル教科書の是非
文部科学省の有識者会議が,タブレット型の情報端末を使う「デジタル教科書」の導入について議論を始めました。1年半程で導入に対して方針を出す様ですが,今回の議論開始をきっかけにしてデジタル教科書の是非について,ネットや報道で議論が高まっています。
先日も読売新聞が社説で「デジタル教科書の導入が『活字離れ』に拍車をかければ,活字文化の衰退を招きかねない。」「デジタル技術の活用は、補助教材にとどめておくべきではないか。」と述べています。
この社説は,まず「社会のデジタル化が進んでも、子供たちが紙の教科書を読み、鉛筆で文章を書くことの大切さは変わらない。」という一文から始まっていて,この事ありきとして論を進めていますが,先ずこの前提ともいうべき文章が正しいのか,疑問に思います。
「デジタル教科書の導入が『活字離れ』に拍車をかければ・・・」と,デジタル化が活字離れにつながるという見解のようなのですが,これは全く間違いだと思います。
デジタル化で,読む,書く文化は格段に裾野が広がっています。今や飲酒・喫煙も何のそのという茶髪ヤンキー中学生さえ,毎日日記を書いている時代です。ツイッターで。
彼らのツイッターを読むと,仲間の先輩から殴られた事や,友達と酒を飲んで楽しかった事,入院中にタバコがすいたい事,好きな女の子の事など,何のためらいもなく書いていて,しかも自分自身や友達の顔写真もバンバン載せていて,オジサンなどはそんなに無防備で大丈夫なのかな?などと思うのですが,はっきり言ってカワユイ。一つそんな中学生のツイッターを見つけると,そのフォロアーの中学生のツイッターを次々と見つける事ができます。
さて,デジタル化で懸念されるのは漢字が書けなくなることですが,白紙に手で書けなくても実用上は問題ありません。漢字を読めるのだし,漢字を選べれるのだから。
漢字を書く事は特殊技能として,漢字検定にまかせましょうwww。
読売新聞の社説では,「デジタル技術の活用は、補助教材にとどめておくべきではないか。」と結論づけていますが,私はむしろ逆で「紙の印刷物は,補助教材にとどめておくべきではないか。」と思います。
(写真は,教科書出版の光村図書のホームページより。)
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