鶴見付近の海岸電軌跡
さて,昨日書いたように,晴れていたのに夕方になって雲行きが不安定になり,雨が降った会社が半ドンの日,横浜に行ったと書きましたが,具体的に言うと横浜市鶴見へ行ったのです。
鉄道趣味がらみでの鶴見行き・・・・・というと,このブログを読んでいる方なら(毎日読んでいる方がいるかは不安なのですがwww)ピンとくるでしょう。最近いくつかの記事を書いてきた海岸電気軌道がらみの鶴見訪問です。
海岸電気軌道は当初京浜電鉄(今の京急)の子会社として発足し,後に鶴見臨港鉄道(今のJR鶴見線)に吸収合併された路面電車です。鶴見の総持寺駅(京急本線の京急鶴見と花月園前駅間にあった駅)と川崎の大師駅(現京急大師線川崎大師駅)を結び,大部分現在の産業道路上に線路が敷設されていました。しかし川崎大師付近と鶴見付近,それに途中の鋼管前付近に専用線があったようです。
前回,川崎大師付近の専用線跡には行ってきましたが,今回は鶴見総持寺駅付近の専用線跡へ行ってきたのです。
最初の写真は,海岸電軌が総持寺駅を発車してすぐ鶴見川を渡っていた臨港橋の写真です。正確には「臨港鶴見川橋」というらしいですね。別に港に近いわけでもないのに「臨港」の名前が付いたのは,海岸電軌が鶴見臨港鉄道の一部門だったからでしょう。写真は総持寺駅方向から川崎大師方向に向かって撮影しています。この先,海岸電軌はほぼ直線で産業道路を目指し,併用軌道に入っていたようです。
次の写真は,臨港橋からわずかに総持寺駅方向に行ったところ,軌道跡の道路上で現在の国道15号線(第一京浜)を見たところです。海岸電軌はこの第一京浜を越えて,正面の商店のあたりを奥へ進み,総持寺駅へ入っていきました。前回の記事に示した現在の航空写真上の総持寺駅からの家の連なりの一番臨港橋側(第一京浜側)の家が,この商店です。
次の写真はこの家のカーブした連なりに沿った路地の写真です。もちろんこんな細い路地の部分に線路が敷いてあったわけではなく,この路地を含めた右側の家々が線路跡です。
次の写真は海岸電軌総持寺駅跡である「本山桜公園」の入口です。この公園は,この入口から中へ入ると曲がった扇形に広がっており,いかにもターミナルという感じです。結構広い面積ですが,京浜電鉄本線の駅もあった事を考えると,こんなものかと思います。
最後の写真は「本山桜公園」の奥の風景。正面は桜の木が植えられており,はっきりしませんが,桜の木々の向こうに京急本線高架線があります。肉眼では架線柱が見えるのですが,写真では分からないかもしれませんね。海岸電軌があったころはもちろん本線も高架線ではありませんでした。
横浜市や川崎市の昭和初年くらいの昔を知るのに便利なのは,各々の「3000分の一地形図」ですが,以前言及したとおり,同地形図は横浜市の昭和初年度版が昭和26年製で,既に海岸電軌が廃止された跡の地図であり,ここら辺の軌道の様子が示されていないのが残念です。
(写真をクリックすると,拡大します。)
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