川崎〜浜川崎貨物線跡 その1
以前,海岸電気軌道の川崎側を探訪したとき,川崎に面白いゲームセンター・マンガ喫茶があるというので,同行した知人と行ってみたことがあります。ウェアハウスという店ですが,かつて香港にあった九龍城を模したというもので,建物の正面は茶色くさびたトタン板のイメージ,入口から入るとシューという音とともにエアが吹きかけられる,ビル内には太い配管が這い回り,通路は曲がりくねり・・・というものでした。
下のゲームセンターの内装もそれなりの九龍城を模したもので,ゲーム機以外の騒音が環境サウンドとして鳴っているというものでしたが,5階のマンガ喫茶はいたって普通。静かなスペースにブースが並んでいるものでした。
さて今回の主題はこのマンガ喫茶のことではありません。JR川崎駅に直結したショッピングセンター,ラゾーナからこのマンガ喫茶に行く間に,鉄としてはちょっと気になるものを発見したのです。
それが1番目の写真のものです。東海道線の線路際にかつて道路を渡っていた線路の痕跡ともいえる橋台跡に見えます。この写真は川崎駅方向から鶴見駅方向に向かって,南向きで撮ったものですが,橋台である証拠に,道路を挟んで反対側にも同じような橋台跡が見受けられます(二枚目の写真)。
最初の写真の橋台はマンションの敷地にあるらしく,脇に階段があって上ることができます。
その上った台地上から撮ったのが3番目の写真です。道路側から見た最初の写真では,道路の擁壁としてペンキが塗られていてそれほど古そうに見えないのですが,道路の反対側から見た3番目の写真ではかなりコンクリが古ぼけて見えます。
調べてみると,これは川崎駅と浜川崎を結んでいた東海道貨物線の廃線跡です。廃線跡といっても,その大部分は尻手-浜川崎間の南武支線として現存していて,川崎駅から八丁畷駅の先までの区間のみが廃止されているのです。
川崎駅-浜川崎駅間が東海道線の貨物支線として開通したのは1918年(大正7年)のことで,3番目の橋台の古さは,そのとき以来だからという事なのかもしれません。
この時,浜川崎には日本鋼管(現JFEスチール)や浅野セメント(現太平洋セメント)の工場があり,それらの大工場に陸運の便を供給するために敷設されたのがこの路線です。
その後,多くの部分を国有のこの貨物線に沿って,南武鉄道(現JR南武線)が尻手と浜川崎間に路線を開通させました。奥多摩の石灰岩(今でも掘っています)を青梅鉄道,五日市鉄道,南武鉄道という浅野財閥系の鉄道を使って浜川崎の浅野セメント工場へ運ぶための路線でした。
さて川崎からの廃止区間ですが,2番目の写真(南から北の川崎駅方向を撮った写真)の橋台の奥に写っているビルはGoogle mapによるとNTTドコモ川崎ビルというらしいのですが,このビル自身が廃線跡です。
そしてその反対側,1番目および3番目の写真の橋台は川崎市営日新町住宅というマンションの敷地にあるのですが,そのマンションが廃線跡に建っているものです。
さてこの先,現在の南武線浜川崎支線の八丁畷の先で浜川崎支線に合流するまでの区間,廃線跡は続きます。
その様子はまた次回。
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