大倉精神文化研究所の施設跡
昨日横浜市大倉山界隈の歩き回りを記事にしましたが,最後は大倉山精神文化研究所へたどり着きました。
創立から84年を数える同研究所のホームページには,かつての研究所施設のマップと古い写真が置いてありました。同研究所は,現在も残る本館だけではなく,寮,住宅を初めとして武道場や神社,喫茶店など,いろいろの施設があったようです。これは,研究所の敷地全体で,一つの完結した世界を作ろうという意図があった様です。
先日の散歩の帰りに研究所に立ち寄ったとき,これらの跡地もみてきましたので,昨日の追補として紹介します。
(地図や写真は,クリックすると拡大します。)
1.研究所西側にある広場ですが,この奥に富嶽荘という寄宿舎がありました。戦後すぐ,GHQによって接収された慶応大学の寄宿舎の代わりに,慶応の大学生の寮になった事もあったそうです。左手には喫茶室などもあった様ですね。
2.上の写真の反対側,崖の上の広場ですが,大神宮がありました。これは研究所ができる前からこの地に建っていた村社「神明社」を研究所の「大神宮」としたものだという事です。この左側の崖下を見ると,かなり急な坂と舴平された場所が見えます。それがおそらく,小さな一戸建てが6戸建っていたという小宿舎の場所と取り付け道路(坂道)だったのだと思います。ところで,昔からある太尾村の村社ならば,今でも祭られていてよさそうなものですが,昭和33年に周辺の5社と合祀されて,場所を移転して太尾神社になっているそうです。研究所の狛犬や手水鉢などが,現在でも太尾神社に残されているそうです。
3.これは研究所建物の東側の冊の中の広場ですが,ここが武道場だった場所だと思います。
これらの広場に昔の建物の礎石など,痕跡が残っていないかなと思いましたが,何も無いみたいですね。研究所の昔の地図がなければ,ただの空き地でした。
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