師岡熊野神社と愛国寺のこと
先日紹介した横浜市の樽町菖蒲園の事を調べているとき,大倉精神文化研究所の「港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)」という記事を参照しました。このシリーズは,第1回からもう200回以上も続いているレポートですが,その中に師岡熊野神社という神社の記事がありました。
奈良時代,神亀(じんき)元年(724年)の創立で,1300年近い歴史を持つ神社だそうです。その昔は関東の熊野信仰の中心になっていたという古社だとの事です。
この神社,今から数十年前,高校生の頃に行ったというか,この近所に住んでいた友人宅からの帰りに通った事があります。ほとんど覚えていないのですが,池の前を通った記憶があります。社殿などを覚えていないので,ただ神社の前を通っただけかもしれません。その頃は,通りかかった社寺にお参りするという事もめったにありませんでした。
今回記事を読んだ事をきっかけに,そのうちこの神社へ行ってみたくなりました。
この神社は権現山という低い山の南斜面中腹にあります。その背後の権現山は,横浜市の市民の森に指定され,頂上に東屋が設けられているようです。
神社の前に,その形から「いの池」と呼ばれる池があります。高校生のころ,その前を通った前述の池です。そして社殿の裏に「のの池」という小さな池があるようです。さらに,かつて「ちの池」という池がありました。今では埋め立てられて大曽根第二公園になっているらしいです。昔はこの辺りまで,熊野神社の境内だったとの事です。
「港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)」には,この付近にあった愛国寺という寺の事に言及したレポートもありました。
この寺は,元陸軍大佐だった栗原勇という人物が建立したもので,文字通り愛国者を育て,軍国愛国者を対象とした新興宗教的な寺だったようです。そのような性格の施設は,戦後GHQによりすぐさま取り潰されているだろうと思ったところ,どうも終戦を待たずに廃寺になっているようですね。「港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)」でも廃寺になった理由がわからず,情報を求めています。
この愛国寺について,「港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)」では,神明社の北側にあったが現在では周りが宅地化されて場所がわからないとされています。しかし,樽町菖蒲園を探したときに参照した横浜市三千分の一地形図の「獅子ヶ谷」に,愛国寺が載っていました。この地図に載っていれば,GoogleEarthの現代の航空写真と対比する事ができます。
その結果,愛国寺跡は確かに現在では住宅地の中に取り込まれているらしいですね。熊野神社背後(北側)の権現山北斜面の中腹にあったようですが,現在ではすっかり削平整地された住宅地になっており,いまでは何の痕跡もないようです。
ところで,愛国寺の説明で述べた神明社は「樽町上組神明社」であり,熊野神社「のの池」の隣にある小さな祠である「神明社」とは別物です。この樽町上組神明社も権現山の来た斜面中腹にあったようですが,今では住宅地の崖の上に小さな新しい社殿を構えています。この神明社の標高も,事によったら以前とは違うのかもしれません。
(写真は,GoogleStreetViewの師岡熊野神社。こんど行ってみるつもりです。次の地図はクリックすると拡大します。)
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