自分の考えを他人が言った事にして話す人
カミさんのオバサンの一人から,他の義理の叔母について,「あの人は,自分の考えを他の人が言ったといって話す人だから,気をつけなさい」と注意された事があります。
自分の考えを他人が言った事にして話す人というのは,世の中には結構いるように思います。カミさんの親戚だけでなく,自分の親戚にもいます。
この話を聞いた時,知人の女性が以前言っていた事を思い出しました。
この知人の母が転んで骨折し,ひと月程入院していた時の事です。知人の母はもう80歳を過ぎているそうですが,地方に住んでいる母を,知人の大学生の娘が見舞わないというので,知人の姉から「母が言っていた話」として聞いた事というのが,そういったたぐいの話,つまり知人の母が言っていたのではなく,姉の考えだろうと思われる話だという事です。
知人の母が言っていた話というのは,知人の娘,つまり知人の母の孫が生まれる時,足腰を鍛えるために近所を散歩するなどした上,知人宅に泊まり込んで産前産後の手伝いをしたという話をして,それなのに見舞いに来ないと言っていたというのです。それが知人によれば,母の発想ではなく,姉の発想そのものだというのです。
知人の姉は,遅く仕事から帰ってくる自分の息子を起きて待っていて食事を作ってやっていた(夫にはそうしていなかったらしい)そうですが,それがいずれ老後を見てもらうためだと言っていた事があったそうです。つまり「何かやってやり,その将来の見返りを期待する」,逆に「よくしてやったのに,見返りが無い」という発想をする人で,「誕生の時世話をしたのに,見舞いに来ない」と言う発想は,正にそれと同じだという事です。知人は,おそらく母は一種の自慢話として姉に知人の娘の誕生の時の事を話しただけなのに,知人の娘が見舞いに来ない事を「あれだけやってやったのに」と母が考えていると発想しているのだというわけです。
私が考えるに,それ程の悪意があるわけではなく,おそらく考えなし,愚かというたぐいかと思います。知人の姉は,そんな話をすれば,その自分の母を落としめる事になると思っていないのです。善意に対して見返りを要求するという事が,人格を貶める行為だとは思っていないという事です。
知人の娘さんは,卒業研究や学会で忙しく,見舞いたくてもなかなか地方に行けない様です。上の事情をかんがえれば,知人の姉が「自分の考えを他人が言った事にして話す人」であるのは,確かに間違いない様に思われます。まあそういう人とは,それ前提のつき合いをしなければね,という事でしょう。
(写真は,フリー写真素材サイト「足成」から拝借しました。)
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