埼玉県高本の日本セメント専用線跡と山越えハイキング
もう15年も前の事になりますが,関越道を長野に向って走っているとき,不思議な跨線橋を見つけました。長野にはカミさんの実家があり,関越道はそれ以降何回も通る事があり,その度にその跨線橋が気になっていました。その跨線橋は,関越道高坂サービスエリアの少し先,東松山インターチェンジの少し手前にありました。関越道に対し斜めに架かっている跨線橋ですが,二本の架線柱らしいものが立っていて,鉄道橋ではないかと思われたのです。あとで調べてみて,それは葛袋3号橋という橋で,東武東上線高坂駅から分岐している日本セメントの専用線である事が分かりました。高坂駅とこの橋の東側にあるセメント材料(粘土)の採集場を結ぶ貨物線の橋だったのです。
しかしこの橋も2013年6月には撤去されてしまいました。いつかここへ行ってみようと思っていたのに残念です。しかし,最近この辺りのGoogleMapを眺めていて,航空写真を見るとこの貨物線跡がかなりはっきり残っている事に気づきました。
下の写真は,跨線橋より大分西側,貨物線の終点付近に近い辺りのGoogleMapです。
この専用線には途中駅と終点駅がありました。途中駅は葛袋,終点は高本と呼んでいた様です。当初はこの2カ所で粘土を掘っていたらしいですね。上のGoogleMapの右端が葛袋駅,左側が高本駅の入り口に当たります。(写真をクリックすると拡大します。)
葛袋駅は現在産業団地になっていて,まだ造成中だと思いますが,一部建物ができて稼働している様です。高本駅の採掘場は日本セメント(現太平洋セメント)系列の清澄ゴルフクラブというゴルフ場になっています。
さて,今回は廃線跡をずっと歩いていくというのではなく,高本付近の廃線跡をたずね,さらに南の方へ山を越えるハイキングを計画しました。
まず東武東上線東松山駅に降り立ちました。ここから市内循環バスというのが何本か出ていて,高本方面へ行くのは「唐子コース」という路線です。注意しなければならないのは、このバス,1日に4本しか無い事です。
このバス路線には,まさに「高本」という停留所があり,そこで降りれば清澄ゴルフクラブ,つまり高本駅の麓に着くのですが,もっと手前「唐子市民活動センター」で降車しました。この停留所の真ん前に,唐子中央公園というのがあります。野球場のある比較的大きな公園ですが,ここで念のためトイレを済ませ,ここから歩き始めます。
この都幾川の河岸段丘上にある公園から,下へ降りていきます。下へというのは,都幾川の方へという事です。下の写真の様な感じの道路を川の方へ向います。
この道路の突き当たりに橋があります。稲荷橋という橋で,川の水が多い時は水面下に沈み,流木が橋の上を通過して流木により橋脚が損傷されるのを防ぎます。したがって,非常に低い橋で,橋上には手すりもありません。沈潜橋は四万十川のものが有名ですが,埼玉県にもいくつか存在する様です。右側の高い橋の様なものは,水道管が通っている水道橋です。(以降,2枚あるいは3枚の小さな写真が並んでいるばあいは,写真をクリックすると拡大します。)
8月23日,この稲荷橋と水道橋の間の河川敷で,裸で半身が砂利に埋まって死亡している16歳の少年が発見されました。22日早朝,些細な事から仲間の暴行にあい,溺死させられて河川敷に放置されていたのが,折からの台風の増水で半身が埋まったものです。この事件の加害者として,14歳から17歳の少年5人が逮捕されました。稲荷橋の手前の空き地(駐車場)には,1ヶ月あまりたった今でも献花台が儲けられ,花やペットボトルが供えられています。私もこの橋のたもとで黙祷しました。
さてこの橋は結構車が通るのですが,すれ違う事ができません。信号も無いのに,橋のこちら側とあちら側で,うまく譲り合って通行しています。人が渡っている時も車が待ってくれるようで,恐縮です。
橋を渡ると,県道41号線に突き当たります。41号線を超えてさらに南に進み,左手をみると,大きな倉庫のようなビルが見えます。前述の葛袋駅跡の産業団地にある佐川急便の流通センターです。かなり巨大なもので,流通センターとしては日本有数の規模のものだといいます。下の左の写真を左右に走るのが県道41号線,右の写真に遠く見えるのがしまむらの流通センターです。
さてさらに道路を南へ進んで行くと,その突き当たりに小さな社と家があり,その左脇の小道を入っていくと,鉄橋が現れます。
この鉄橋が日本セメント専用線の鉄橋です。鉄橋の下に崖を上っていく数本のパイプがあるのがわかるでしょうか? 先ほどの稲荷橋の隣にあった水道橋からの水道パイプです。この上方,丘の上に配水塔があり,そこへ向う水道管です。配水塔は公園から都幾川に降りる道路からも,丘の上に茶色く見えています。
さて,元の道路に戻って道なりに歩きます。歩いたところで左を見ると,先ほどの鉄橋から続く築堤(コンクリで固められているが)が見えます。この上を線路が走っていたのですね。
さて,この道はやがて二股に分かれ,左の道は上り坂になっています。その分岐点の傍らに,「天の園文学散歩コース」という標柱がありました。
この標柱の「天の園」とは,ご存知の方も多いかと思いますが,1990年に亡くなった児童文学作家,打木村治の代表作です。現在も偕成社文庫で出版され続けられている作品です。著者がこの地,東松山で暮らした少年時代を描く6巻にものぼる長編作品で,この辺りが舞台になっており,唐子中央公園には文学碑もあります。
さて,分岐から左の坂道を上ります。坂道の左側は線路跡です。坂道を上るにつれ,線路跡と同じレベルに達します。線路跡の傍らに,鉄道でよく見かける石柱がありました。セメント会社のものかと思ったら,市章と共に「東松山市」と彫ってあるらしく,市が設けたもののようですね。この廃線跡は,現在は東松山市が所有しています。セメント会社が廃線跡を市に寄付したのです。東松山市ではこの廃線跡を,数年かつ数億円かけて遊歩道化することを計画しているようです。
ところで,「天の園」の標柱のある分岐点を左へ行くのが坂道,反対の右側にほんの少し行くと,中央公園まで乗ってきた市内循環バスの「高本」停留所があります。珍しい沈潜橋を渡る気が無いのなら,中央公園から歩く事無く,ここまでバスで来る事ができるという事です。
さて,坂道が線路跡と出会った地点の写真が左の写真です。いかにもという廃線跡ですね。そこで180度振り向いて撮った写真が右のものです。舗装道路となっていて,この奥が粘土採集場であったゴルフクラブです。高本駅もこの中にあったという事ですね。
日本セメント専用線の探訪はここで終わり,あとはこの山を越えていくハイキングです。林の中の舗装道路を登って,山越えします。
上の左の写真のような道を登っていきます。右側下がゴルフクラブ,つまり旧高本の採集場のはずですが,木々に隠れて見えません。
中央の写真はやっとたどり着いた峠です。これ以降,下り坂に変わります。そして前述の分岐点を出てから15分ほどかかって,やっと麓に着きました。右の写真向こうの方に車がとまった駐車場が見えますが,麓の福祉法人の駐車場でした。
ここからは山の間の平地を歩く事になります。ここら辺は岩殿という場所ですが,途中に弁天沼という池がありました。一名「鳴かずの池」といわれているそうです。その昔,坂上田村麻呂が岩殿山に住む竜を退治したとき,竜の首を埋めたところにできたのがこの池で,竜を恐れてカエルが住みつかないという伝説があるそうです。
この弁天沼付近は,南北朝~室町時代の武将,足利基氏の館(一時的なものだったらしい)跡もあったらしいのですが,知らずに通り過ぎてしまいました。
さて,道は県道212号線にぶつかります。その交差点の向こう側にあるのが埼玉県立こども動物自然公園です。動物公園に続く物見山は公園になってます。
この自然公園前のバス停から,高坂駅行きのバスに乗って帰りました。東松山から唐子中央公園へ行くバスは一日4本でしたが,この高坂駅行きのバスは閑散時でも一時間に4本あります。動物園や大きな公園,さらに付近に大学や高校があるからでしょうか。
さて,今回は日本セメント専用線の終点,高本の辺りを散策したわけですが,専用線は関越自動車道の手前で県道344号線のすぐ傍らを通ります。それならばGoogleStreetViewで廃線跡が見えるかもしれないと思い検索してみたら,見事に写っていました。下の写真で,道路の左側の空き地が廃線跡です。
葛袋-高本間は前に掲げたGoogleMapで分かるように,線路が山の中腹に敷設されているのでStreetViewでほとんど見ることはできませんが,高坂駅-葛袋間はこの廃線跡を横切る道路が何本かあり(つまり踏切りがあったという事ですね),その何箇所かの踏切り跡で,道路側から廃線跡をみることができます。
今回の廃線跡探訪とハイキング,唐子中央公園を出てこども動物自然公園バス停まで,ほぼ1時間の行程でした。
最後のGoogleStreetViewの写真を見ても,高本終点辺りの廃線跡の写真を見ても,廃線跡が草に覆われている事も無く,草刈りなども行われていてきちんと管理されているように見受けられます。前述の様に,廃線跡はセメント会社から東松山市に無償譲渡され,市がきちんと管理しているのだろうと思われます。
この廃線跡も,今年から遊歩道化が順次行われる様で,何年か後には歩いてたどれる様になるでしょう。しかし逆に言えば,廃線跡の風情を味わうのは今のうちだという事ですね。
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