埼玉県笛吹峠を訪れました
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そもそも東武東上線高坂駅から分岐していた日本セメント専用線廃線跡の探訪から端を発して興味を持った比企丘陵。さらにそれ以前に,小学生の頃,学校の図書室で読んだ本の中に,吉見百穴やポンポン山が載っていたことと相まって,興味がありました。
そこでいろいろ調べてみると,比企丘陵やその周りには,たくさんの古墳,鎌倉時代や室町時代の館跡,さらに古い坂上田村麻呂に因む伝説の沼,先日紹介した高負彦根神社のような1300年前に創建された古社や同じく1300年前の岩殿観音正法寺,慈光寺,1200年前に創建された安楽寺(吉見観音)などの古刹,6世紀の窯跡群など,古代の遺跡がたくさんある事が分かりました。6世紀の窯跡である桜山窯跡群には,窯跡が2基,埴輪を焼いた窯が17基,それと竪穴住居が3軒あるそうで,当時の先進地域であった事が分かります。ここから遥かに続く場所,行田市には,以前紹介したさきたま古墳群があります。そんなこんなで,非常に興味深い地域です。
さてそんな場所に先日も行ってきました。先日訪れたのは笛吹峠です。
共に1300年前に創建された正法寺と慈光寺を結ぶ峠道で,巡礼街道とも呼ばれている街道にある峠です。
正平7年(1352年)2月25日,新田義貞の三男新田義宗らが宗良親王を奉じて武蔵野の小手指原で足利尊氏の軍勢と戦ったとき,最終的に戦いの決着がついたのがこの峠だったそうです。道路工事の時に,当時の人骨がたくさん見つかり,古の激戦がしのばれたといいます。この戦いのとき,折からの月明かりに敗戦側の宗良親王が笛を吹いたことから「笛吹峠」と命名されたという伝承があります。この戦での足利勢の勝利を境に,室町幕府による関東統治がはじまったとの事です。
そんな峠ですが,それ程高名というわけではなく,鄙びた峠だろうと思っていたら,ポンポン山や八丁湖,黒岩横穴墓群にあったのと同じ「笛吹峠」の銘板,さらに埼玉県の署名の入った「史跡笛吹峠」の石碑,上述の縁起を書いた看板などがあり,それなりに周知させようという努力が行われていました。さらに,峠には東屋や駐車場,トイレがあり,ここで車を降りて一服できるようになっていました。
林の中の峠で,車の往来もそれ程多くなく,夏の最中でも涼しく過ごせるであろう場所でした。
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