新玉川線の初期の計画ルートについて
先日このブログに書いた世田谷線上町から荒玉浄水場までの新線計画。それに関連して砧浄水場を訪れたわけですが,その帰り,バスで狛江駅に出て,小田急線に二駅だけ乗って成城学園前で降りました。そして渋谷行きのバスで世田谷通り沿いの松ヶ丘交番前へ。ここから歩いて数分の「世田谷区中央図書館」に行くためです。
この図書館ならば,「新玉川線建設史」という本が置いてあるだろうと思ったからです。著者が東京急行電鉄となっており,いわば新玉川線建設の正史のような本で,これならば現在の新玉川線路線に落ち着くまでの計画路線について書いてあるだろうと思ったからです。
図書館で早速検索してみると,見事にありました。書庫内保管されている本で,かなり厚い本でした。その中には,計画路線の変遷も書いてありました。
新玉川線の初期の計画については,「三軒茶屋から蛇崩川沿いに用賀へ」という蛇崩川ルートが有名です。新玉川線のもともとの計画ルートというと,いたるところでそんな記述に出会います。
しかし蛇崩川というのは,私の頭の中では,馬事公苑附近から世田谷区の中央部を東西に流れて中目黒で目黒川へ合流するという川で,玉川線と直交こそすれ並行しないのではないかという気がしていました。私が知りたかったのは,この蛇崩川ルートの地図が「新玉川線建設史」に載っていないかという事でした。
結果的にいうと,載っていたのです。そして,この蛇崩川ルートが新玉川線の最初の計画ルートというわけではなく,この前に第一案ともいうべきルートがあった事を知りました。そのルートは現在の新玉川線,つまり国道246号線の南側を並行して通るルートです。このルートでは,三軒茶屋駅も現在の三軒茶屋駅,つまり旧玉川線,現田園都市線・世田谷線の三軒茶屋駅から南に少し離れた位置でした。
それから第二案として現れるのが蛇崩川ルートです。三軒茶屋駅は246号線と世田谷通りの分岐点附近で,現在の三軒茶屋駅の位置です。そこからほんの少し世田谷通りを走り(三軒茶屋付近は地下線で計画され,三軒茶屋駅は地下駅の予定でした)やがて南へそれて蛇崩川に並行するようになります。私が「東西だろう」と思っていた蛇崩川の流路も,弦巻のあたりでは南西から北東へ流れ,新たな玉川線ルートにぴったりでした。実際新玉川線は,この川の真上を川を跨ぐように高架で通過するように計画されていたとの事です。現在の新玉川線(とりもなおさず旧玉川線)は,駒澤大学と桜新町の中間で現国道246号線を離れ,旧246号線上(地下)を北に大きく膨れて(回って)用賀へ行きますが,蛇崩川ルートは,世田谷通りから南に外れてこの膨れた頂上付近(桜新町附近)に真っ直ぐに到達するようなルートです。その過程で,蛇崩川上を通過するのです。
三軒茶屋付近の蛇崩川のGoogleMapを示しますが(クリックすると拡大します。現在では蛇崩川は暗渠化され,緑道として示されています),地図の右上に三軒茶屋駅があり,そこから対角線方向斜め下に蛇崩川が示されています。三軒茶屋駅から少し世田谷通りを通り,左斜めにそれれば,確かに蛇崩川にすんなり繋がりますね。この地図の範囲外になりますが,現在の弦巻中学校の少し先,蛇崩れ川が北に曲がる辺りから斜め左に線路がカーブすれば,現在の用賀駅附近へすんなりとつながります。
まあ現在の246号線上の路面電車に代わって,あるいは路面電車の輸送力を補完するために高速鉄道を計画するとなると,246号線を避けて,南側の第一案,北側の第二案というのは,自然な計画なのかもしれません。そして結局,第一案,第二案とも地元との調整に手間取り,全線路面電車をそのまま地下にもっていくという案が採用されたわけですね。
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