車の自動運転の問題は,技術的な事だけではない
配車サービスを提供しているアメリカウーバーの自動運転車が事故を起こしたというニュースがありました。乗客を乗せていたウーバーの車が衝突事故で横転しました。死傷者の情報はありません。
この自動運転車の事故に対して,日本のニュースキュレーションサイトにはこの記事に対して,「自動運転はまだまだ」とか,「人が運転している方が事故率が大きい」とか,「ウーバーと自動運転に対しては,軽率な判断は避けるべき」とか,「人と同じくらいの事故率なら自動運転は合格と考えるのが正しい」など,様々な意見が記事へのコメントという形で出ています。
さらに「同じ事故でも,人が起こした事故では許せる可能性があるが,機械が起こした事故では許せない」というコメントがいくつか見受けられます。
この事は案外重要な要素である様な気がします。
「事故を起こした当事者,さらにいえば誰か事故に対する責任者が居るべきだ。事故に対する悪者が居るべきだ。」という事は理解できない事ではありません。事故を起こした当時者がいて,被害者なり遺族なりはその人に対して怒りをぶつけて,心の均衡をとる。
まあ,「事故」に誰かの責任があって,その人からの謝罪があって,怒りをぶつける対象が必要だという人が居る限り,自動運転の実現はムリでしょう。
自動運転に対しては,技術的な問題があるというだけではなく,このような一種社会的,人の心理的な問題もあるという事です。
(イラストは,フリーイラスト素材サイト「いらすとや」から。)
| 固定リンク
コメント