9月最後の日曜日の百貨店の賑わい
用があって横浜市街にいって,百貨店に入りました。
いつもはそれほど人のいないジュエリー売り場に,いつになく人がたくさんいました。
あっそうか,今日は9月29日,消費税改訂前の最後の休日です。それで高いものが売れているのだろうと思いました。
用があって横浜市街にいって,百貨店に入りました。
いつもはそれほど人のいないジュエリー売り場に,いつになく人がたくさんいました。
あっそうか,今日は9月29日,消費税改訂前の最後の休日です。それで高いものが売れているのだろうと思いました。
ひと月ほど前,このブログに書いたように,まあまあ近所のコンビニ「ファミリーマート」が,<閉店>→ <経営者募集の看板が出る>→ <看板が取り去られる>→ <開店準備が始まる>という経緯をた辿り,9月27日に再開店しました。
そうしたら,その27日夜,スマホのカーナビ「Yahoo!カーナビ」に早々にファミマが表示されているのを発見しました。最新情報の頻繁な改訂というのは,スマホカーナビならではですね。
車載カーナビは見やすいし便利ですが,情報の更新という面ではスマホにはかないません。最近,スマホカーナビのシェアがアップしているようですが,確かにそうなるべくしてなっているという事ですね。
ところで,娘によると,「閉店したのをずっと改訂しなかっただけではないの?」というのですが,まあそういうことも考えられますね。
超高速通信手段である5G。これまでその素晴らしさが報道されてきましたが,ここへきてその限界についても流布されるようになってきました。「5Gは本当に使えるのか?――“国土の6割が山地”の日本における問題点」という記事をもそのひとつです。
5Gについて,IT業界にいる知人は,「驚くほど早い5Gは,驚くほど使い道が狭い」と表現しています。特定の地域の,特定の用途(多分一般人が使うのではなく,産業用)に使われるだけで,現在の4Gほど使えないということだそうです。
実際,写真・画像,それに音声を扱うのであれば現在の4Gでも十分で,映画並みの大容量の動画を扱う場合は5Gが便利だということで,一般的な使い方ではほとんど5Gは必要ないと言えるかもしれません。結局のところ,現在遅くて遅くてと思っているネットサービスがなければ,その人にとって5Gは必要ないと言えるかもしれません。
しかしネットサービスというのは始まってみなければ新しいサービスは生まれません。期待はし続けましましょう。
(イラストは「いらすとや」より。表題の「素晴らしい5G期の終わり」は,「2001年宇宙の旅」で有名なSF作家,アーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり」にちなんでいます。)
「8Kと4K、区別つかず」という記事がありました。
私自身が経験したわけではありませんが,これはにわかに信じがたいです。
8Kを見た知人女性によると,立体テレビではないのに立体的に見えるとの事で,あきらかに4Kとは違うと言ってたいそう感激していました。その没入感は半端ではなく,水面など手を伸ばして触りそうになったそうです。
この記事と知人女性の違い,感受性の違いかもしれませんね。鈍い人には猫に小判的なのが8Kテレビだったりしてwww。
ところで,ニュースのコメントで,「テレビが衰退してきているのに・・・」というのがありましたが,いわゆる大画面テレビに映すのが,テレビ放送だけでないのが昨今です。
うちのテレビは,アマゾンFireStickを通して,ネット配信画像が映っている方がテレビ放送が映っているより時間は長いです。そもそもウチのテレビのリモコンには<NetFlix>というボタンがあり,FireStickを使わなくても映画など配信コンテンツを見ることができます。今やテレビも,無線LANにつながる時代です。
9月9日に関東地方を襲った台風15号は,主に風による被害を各地でもたらし,特に史上最大の風速を記録した千葉県ではいまだに電柱の広範囲な倒壊による停電が続いています。
この停電,始め10日には復旧すると東電が予告し,各自治体もそれを信じて対策を行っていました。電源車の派遣などは10日には復旧するという情報に基づいて見送られていました。ところが,実際には復旧時期は延期に次ぐ延期で,まだ復旧していない地域もあるという状態になってしまいました。復旧時期の度々の延期で,自治体による様々な災害支援対策も後手後手にまわりました。暑い中,エアコンが使えないこと,冷蔵庫が全滅したこと,停電によりポンプが稼働しなくなり水道の断水も起こったことから,広い範囲の被災者は生命の危機にも見舞われました。
今回の台風では,関東地方各地の鉄道などが事前に計画運休を実施し,その運行再開時間を予告していました。ところが,線路や架線に引っかかった遺物の撤去や線路の点検,さらにそれによる支障の多さにより,その予告された再開時刻に運行を始められませんでした。そのために,台風襲来前に予告された運行再開時間に駅へやってきた通勤者が溢れかえり,運行が再開されても駅に入れないなどの混乱が起こりました。<一部の人が最新ニュースを見ることなく予告された時刻に駅にやってきた>→<駅で滞留>→<運行再開を報道で知った人々が駅にやってくる>→<滞留していた人と相まって運行再開後も駅に入れない>という状況でした。
このような事例では,予告された時刻に電力なり鉄道の再開が行われなかったことから,様々な支障が発生し,それをカバーできなくなったというわけです。
千葉県や被災した各自治体では,最初から電力復旧時期が正確に予告されていたら,様々な対策が異なっていただろうと言っています。鉄道の復旧も,「朝8時」ではなく最初から「11時」と広報されていれば,早くから企業も「出社に及ばず」というアナウンスを出していたかもしれません。
自然災害ですから,電力会社や鉄道は正確に復旧時刻をアナウンスすることは難しいでしょう。この情報社会ですから,利用者側が最新報道などで最新情報をしり,それに基づいた行動をとることが必要です。
義父の三回忌に参列しました。
久しぶりに喪服を着てズボンを履き,普段通勤用に使用している黒ベルトをつけました。そうしたら,「あれ,ベルトの穴が普段と一つずれている。」。ベルト穴が一つだけ,痩せ側に来ています。
しかし気づきました。「痩せたわけではなく,ベルトの位置が普段と違うんだ」。いつもの通勤ズボンではベルトが腰の位置で締めるのに対して,喪服のズボンではお腹の位置に締めることになります。股上が長いということなんですね。
つかの間の喜びでした。ぬか喜び・・・・・。
横浜市の我が家では,22日の夜から雨が降り出し,深夜にはかなり強い雨になりました。翌23日の秋分の日は朝から良い天気になりました。しかしかなりの強風。日中はゴーゴー音を立てて風が吹いていました。外に出てみると,かなり気味の悪い湿った南風。
台風17号による強風です。関東地方には近づかなかったものの,風で影響力を示しました。
今も広い範囲で停電が続く千葉県内で,停電した地区の信号機を動かすために警察が設置していた非常用発電機が盗まれる被害が相次いでいるそうです。この報道に対して,日本のモラルの低下とか,外国人が多くなったからなどとコメントしている方々がいるのですが,そういう事なんでしょうかね?
記事を読むと,「山武市内で,信号機に設置していた非常用発電機数台が相次いで盗まれていた」という事で,狭い範囲の犯行なのです。犯人は多分一人ではないですか? 一人の犯行でもよく目立つ。私たちはそれを一般化してしまいがちです。
この事件も,日本の環境変化などと,あまり一般的に考える必要がないかもしれません。
新宿の漫画喫茶で,9月16日,雑誌などに火をつけたとして40歳の男が逮捕されました。「人を刺すか火をつけるかどっちにしようか考えた」と供述しているということです。幸いにしてけが人はいなかったようです。
最近,このような非常識犯罪の犯人が,逮捕されてみたら40歳代だったという事件が多いように感じます。登戸のスクールバス停留所殺傷事件から,「じゃまだから」という理由で自転車を線路に投げ捨てた40歳まで。
この世代,よく就職氷河期世代と呼ばれますが,それと関係はあるのでしょうか? 40歳という年代が,何かそのような衝動を誘う意味があるのでしょうか?
まあ,30代まではまだ夢があるとか将来への淡い期待がある世代で,40の声を聞いた途端に将来に絶望するとか自分に絶望するとか,自分のせいなのに社会のせいだと転化しがちだとか・・・・・。
まあ何れにせよそのような犯人は,精神的には大人になりきれない中二病であることは間違いないでしょう。犯罪はまるで子供でもやらないような実に子供っぽいものですよ。
(お馴染みの「いらすとや」で「中二病」で検索したら,上のようなイラストが出てきました。中二病はこういうイメージですか。でもこの男性,ほんとうに中学生のようですが・・・・・。)
長野からの帰り,長野駅前のながの東急百貨店のデパ地下で,おぎのやの峠の釜めしをかいました。
峠の釜めしは,益子焼の陶器製の容器が有名です。売り場には,もちろんこの陶器製容器のものがありましたが,私が初めて見る紙製容器のものもありました。初めてということもあって,この紙製容器のものを買いました。
この容器,軽くて何より持ち歩きに便利です。ゴミとして出す時も,紙製容器ですから燃えるゴミとして捨てることができます。
実はこの紙製容器の釜めし,結構前からあったようで,2013年のグッドデザイン賞を受賞しているようですね。
今後とも,紙容器と益子焼の両方が併売されていくようです。ネット上には,益子焼の容器の利用法もアップされていますから,益子焼が必要な時にはそちらを購入できますね。
(2枚目の写真は,蕎麦だんごと蕎麦の味噌包み焼き。)
昨日紹介したように,この三連休,用事があって長野へ行きました。長野市内に滞在しました。
上の写真は,善光寺境内で撮ったものです。手前の建物が重要文化財の山門,奥の建物が国宝の本堂。下の写真は,長野市内から車で30分程度のところにある戸隠高原の鏡池。その下の写真は,小布施に本店がある菓子舗「竹風堂」のかき氷です。アイスクリームとともにトッピングされているのは,名物の栗かの子。栗だけで作った栗きんときです。
先日紹介した奥入瀬渓流旅行。昨日書いたように,iPhoneで撮った写真からアルバムをつくるために,しまうまプリントというサービスを使いました。ネット上のサービスで,フォトブックのサイトで紙の大きさなどを設定して写真をアップロードすると,リアルなフォトアルバムを作ってくれるものです。
そうしたらそのサービスを使った次の日から,スマホ上のYahooニュースのタイムラインに,しまうまプリントの宣伝が出てくる様になりました。そもそもYahooニュースのタイムラインには,ニュース記事のタイトルと共に,時々<広告>と断って宣伝が並びますが,しまうまプリントの広告が出るようになったわけです。しかも,星野リゾートの東北旅という宣伝も出てきます。
たまたましまうまプリントも星野リゾートもYahooニュースの広告クライアントだったのでしょうし,最近それを使った私に対して広告が出てくるというのはそれほど驚くことではないのですが,「一体広告としての効果はどうなのよ」と思います。
なにしろ,最近私は既にそれを使っており,存在も内容も知っているわけで,その私に対して広告してどんな宣伝になるというのでしょう? むしろ私が知らない商品なりサービスを広告した方が,宣伝としては有意義でしょう。しまうまプリントでなく,フォトブック作成サービスなら「別のこんなものもありますよ」という競合他者の広告とか,星野リゾートなら「東北旅」でなく今度は「九州旅」の広告とか,そんな宣伝が有効だと思います。まあ,AIが発達すれば,そんな広告になっていくのでしょう。
先日の奥入瀬渓流旅行中にiphoneで撮った写真を「しまうまプリント」というサービスでフォトブックにしました。
このサービスは,まずフォトブックのサイズを選び,写真を選んでドラッグ&ドロップでサイトに貼り付けていけば,数日後には本になって郵送されてくるというものです。
1ページに何枚写真を入れるか,写真の向き,大きい写真はどの部分をフォトブックのページに載せるかなど,自在に選択することができます。写真の下や横に文字を書き込むこともできます。出来上がったフォトブックは,まさに本のようにカバー(カバー用に選んだ写真やタイトル文字付き)がかけられた形で完成されます。
一番小さい文庫本サイズを選んだら,なかなか素敵な写真集ができました。
このフォトブック作成サービスは知人から教えてもらったものですが,これからも利用したいと思います。
TBSの「クレイジージャーニー」にやらせ問題が発覚しました。爬虫類ハンター企画で,事前に準備した生物をあたかもその場で発見したかのように撮影したものです。
やらせ問題というのは,昔からありましたね。
1950~70年代にディズニーでアニメと同じくらい人気があった映画に,「自然の驚異シリーズ」がありました。これは自然界の動物や植物の生態を克明に描いた教育映画でした。スローモーションなども多用し,製作班にウォルト・ディズニーは,フィルムは空気と同じくらいふんだんに使って構わないと指示していたといいます。
私の年代では,小学校の課外授業として全員で映画館に見に行った記憶もあります。
それが,一部がスタジオに自然のセットを組み,スタジオ撮影されていたことがわかり,ディズニーが謝罪したことがありました。
映像作家はとかく作品の趣旨より「絵」を重視し,いざとなるとそちらの方へ行ってしまいがちなのですね。
(写真はアマゾン書店より。DVDのジャケットです。)
新モデルを出すたびに価格帯を上げてきたAppleは,10日の新製品発表会で「iPhone」の主力機種の価格を引き下げて戦略の転換を図るということです。
かつて,Macなど,Windows機に比べて格安と思われる時期がありました。私などはそのときMacユーザーになり,それ以来ずっとAppleユーザーです。Macユーザーであったので,自然にiPodユーザーになり,iPhoneユーザーになりました。まったくAppleの術中に嵌ったわけです。
しかし今,Apple製品は他の類似製品に比べて割高という印象があり,早々買い換えようと思わないようになりました。今回そのイメージが転換するのであれば嬉しいです。
政府は9月6日,政府文書に日本人の氏名をローマ字で表記する際,「名-姓」の順ではなく,日本語表記と同様に「姓-名」の順に統一する方針を決めました。
今のところ「政府文書内で」という範囲にとどまっていますが,これが一般的に通用するようになるのでしょうか?
クレジットカードなどではローマ字表記が正式であり,「名ー姓」となっていて,ECサイトなどにカードを登録するとき,現在は「名ー姓」でなくてはエラーになります。コンピューターシステムも絡んで改修や再登録が必要な問題なので,一般的表記が「姓-名」になるとも思えない。そうすると,「姓-名」は一種のお役所言葉として違和感あるものとなるでしょう。
こういうことは,コンピュータシステムをはじめ様々な影響がありますから,慎重に決めて欲しいですね。
日本人が甘い飲み物から離れ,無糖の飲み物に移行しているという記事がありました。
もう10年くらい前になりますが,出張で初めて中国へ行った時,甘くない飲み物を買おうとしてコンビニに行って,これは甘くないだろうと思った緑茶のペットボトルを買ったら,しっかり甘い緑茶だったということがありました。中国の方に聞いたら,コンビニで甘くないのはサントリーの烏龍茶だけだと聞きました。
そのころから日本のコンビニでは甘くない飲み物が売られていたわけで,中国に比べれば甘い飲み物離れはずっと昔からあったのです。
甘い飲み物離れというより飲み物のバラエティーが増えたということかもしれません。さらに,これまでは水やお茶など甘くない飲み物は家で飲んでいたのに外でも求めるようになったという事かもしれません。
単に,家の外で甘くない飲み物を買うようになったという事で,日本人が「甘い飲み物から離れた」というわけではないと思いますね。甘くない飲み物は以前から家の中で飲んでいたのですよ。
9月に入って10日ほどたちますが,日中はまだまだ暑いですね。
暦の上では秋ですが,残暑というやつですね。
まだまだ写真のような冷たいものが欲しいこの頃です。どちらもハンバーガーショップ「ファーストキッチン」のかき氷シリーズで,ブルーハワイとベリー味。小さいコップに氷が入っていると一部氷が固まってしまって,食べにくいのが難でした。
折から,9日早朝には台風15号が関東地方に襲来し,夜通し風と雨が雨戸を打って,うるさい深夜でした。翌日の鉄道は運休が続き,私鉄は朝8時頃から,JRは9時~10時ごろから運転が始まりました。台風15号は通勤時間を直撃した形です。
ところが,うちの近所のバスは始発からダイヤ通りに動いており,雪の時もそうですが,「バス強し」の印象を強くしました。
先日来書いている奥入瀬渓流旅行は,第一の目的は奥入瀬渓流の散策をしようという事ですが,東京へ帰ってきた現在,一番興味深かった場所の写真が,左のものです(写真をクリックすると拡大します。)。
そもそも弘前の洋風建築巡りの途中,日本聖公会弘前昇天教会教会堂へ行こうとして見つけた建物です。デパートもある土手町の商店街から横に外れて坂を下へ降りた土淵川沿いにあったのが,弘南鉄道大鰐線のターミナル,「中央弘前」駅です。弘南鉄道には,JR弘前駅に隣接した駅から発車する弘南線と中央弘前から発車する大鰐線の2線があります。かつてはJR黒石線を引き受けた黒石線もありましたが,こちらは平成10年に廃止されました。大鰐線と弘南線の弘前市内のターミナルが異なるのは,そもそも違う鉄道会社だったからです。大鰐線は弘前電気鉄道の路線でしたが,昭和45年に弘南鉄道に併合されました。
なにしろ弘前市内の洋風建築巡りの最中でしたから,ここから電車に乗ることはできませんでしたが,「おっ,こんなところにターミナル駅があったんだ。」と思いました。
奥入瀬旅行で食べたものをまとめておきましょう。
主な食事処はと言えば,2泊3日で泊まった奥入瀬渓流ホテルということになります。ここにはフレンチレストランもあり,一時考えたこともあるのですが,朝夕の食事は全て「青森りんごキッチン」というブッフェスタイルのレストランにしました。ブッフェスタイルでは,様々な料理を食べ尽くすとしたら1回の利用では足りず,2泊3日の2回の夕食,2回の朝食でも足りないくらいですからねwww.。
奥入瀬は山の中というイメージですが,食材は海の幸が多いのが特徴でしょう。なにしろ青森市からも八戸市からも1時間内外で到着する場所で,マグロをはじめとした刺身,カルパッチョ,大きなホタテのバター焼きなどがふんだんに提供されていました。朝のおかゆには,イクラとほぐし鮭をのせてたべました。オムレツにはホタテが入っていました。
そしてリンゴが多く使われています。リンゴのパイにはソフトクリームが添えられています。パンケーキにはリンゴのジャムが添えられています。ローストビーフやステーキにもリンゴのソースが用いられています。ジュースは富士,王林,津軽の三種類のリンゴジュースがありました。それとは別にリンゴを圧縮抽出して小さなグラスで供されるジュースがありました。まるですりおろしリンゴのような香りと味の濃厚なリンゴジュースでした。
朝食も夕食も,2回づつでは食べつくせませんでした。
青森市で食べた昼食も,ホタテ尽くしでした。ラーメンまでホタテ入り。今回の旅行の食事の特徴は,海の幸ですね。
(写真は,上から4枚は奥入瀬渓流ホテルの食事,朝食夕食取り混ぜて。最後の写真は青森市内で食べたホタテラーメン。)
昨日紹介した五所川原の鶴の舞橋から車で1時間程,弘前市へ到着しました。弘前市でのお目当は明治・大正時代の洋風建築の見学です。
弘前は弘前城の城下町。弘前城に近い市立観光館の駐車場に入れて,歩いて街歩きします。街を歩いてみると,風情が青森市と違うのですよね。まあ古い洋館をたどっての街歩きですから,なおそのような感想になるのかもしれませんが,風格が感じられるのは古い城下町だからでしょうか。
そもそも青森県は,始め弘前に県庁が置かれ,弘前県と名付けられていました。日本最初の市制施行地でもあります。そもそも青森市は弘前藩主津軽信枚とその家臣である開港奉行森山弥七郎によって寛永期に築かれた港町で,明治四年には弘前から青森に県庁が移転されています。しかし現在でも青森の国立大学といえば弘前大学であり,津軽地方の中心都市でもあり,青森県の中心都市の一つになっています。
さてその洋館めぐり。旧弘前市立図書館,旧東奥義塾外人教師館,旧第五十九銀行本店本館,日本聖公会弘前昇天教会教会堂などを回りました。弘前市立図書館の裏には,市内洋風建築のミニチュアを置いたスペースもありました。
ここから1時間で青森空港着。空港内の漁連の店などで,冷凍ホタテや永谷園のご当地お茶漬けの素などお土産物を買い込んで羽田に帰ってきました。
(写真は上から,旧弘前市立図書館,旧東奥義塾外人教師館,旧第五十九銀行本店本館,日本聖公会弘前昇天教会教会堂。写真をクリックすると拡大します。)
昨日に続いて,奥入瀬渓流旅行記です。
さて,奥入瀬渓流ホテルを後に,11時発の無料送迎バスに乗って青森空港へ向かいました。12時過ぎに空港着。東京羽田空港行きの飛行機は夜20時半発でしたから,その間を過ごすために青森空港でレンタカーを借りていました。
まずは青森空港から車で1時間ほどの五所川原市へ。廻堰大溜池または津軽富士見湖と呼ばれる大きな溜池へ行きました。近年JRのCMで使われた鶴の舞橋という大きな太鼓橋がある所です。
富士見湖パークという公園内にある橋で,なかなか清々とした思いのほか散策が楽しめるところでした。
さらにそこから1時間,弘前市へいきました。弘前は桜で有名な弘前城がありますが,もちろん今は桜の季節ではありません。
(写真はクリックすると拡大します。)
さてこれまで奥入瀬渓流への旅行をルポしてきましたが,そもそも8時に羽田空港から青森空港までの飛行機に乗ったのが旅の始まりでした。9時過ぎに青森空港着。純粋に飛行機に乗っている時間は55分程度です。
ホテルからの無料送迎バスは15時青森空港発でしたから,その間にもう一つのお目当て,三内丸山遺跡に行こうという計画です。青森空港でレンタカーを借りていました。三内丸山遺跡は青森市内にあり,空港から車で15分程です。
特別史跡,三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡です。一般の竪穴式住居,大きな倉庫,小さな高床式の倉庫群,そして三内丸山の写真でよく見かける3層6本足の掘立柱建物などが復元されています。一般の竪穴式住居には,私のイメージにあった茅葺きのものの他に,樹皮葺き,土葺きのものがあって,それが再現されていました。
大きな倉庫の中に入ったら煙の臭いがして,臭いまで再現されていると驚いたのですが,それは茅葺き倉庫の防虫のための燻蒸作業が行われた直後だったからのようです。
圧巻はやはり有名な3層6本足の掘立柱建物です。太い栗の木を6本使用した楼閣跡で,後代の天守閣的な建物だったのかもしれません。この建物の土台の調査から,当時測量技術があったこと,縄文尺ともいうべき長さの単位があったことが推測されています。栗の木の柱を使った建物でしたが,この村では当時栗が栽培されていたそうです。DNA鑑定によって,栽培された栗であることが近年あきらかになりました。
遺跡の手前に資料や出土品の展示施設,縄文時遊館が建っています。遺跡の説明ビデオなども上映されていました。さらにここでは,特別展として,縄文時代の土偶の展示が行われていました。三内丸山に限らず,別の縄文遺跡から出土した土器や土偶が主に出展され,比較対象として弥生式土器も展示されていました。この企画展では,有名な遮光器土偶が展示されていました。宇宙人をかたどったともいわれる青森県亀ヶ岡遺跡で発掘された重要文化財の土偶です。遮光器土偶は片足の取れた有名なものの他にも,大小たくさんありました。遮光器土偶の実物を見られただけでも,この遺跡を訪問した価値がありました。まあ遮光器土偶は,通常は東京の国立博物館に所蔵されているものなのですがね。青森県に里帰りしていたわけです。
三内丸山遺跡から青森駅にも近い場所まで移動してゆっくり食事をとり,空港に戻ったらもう三時です。ホテルのマイクロバスで奥入瀬渓流の焼山のホテルまで1時間15分ほどの行程でした。途中八甲田山がよくみえました。八甲田のすそ野を回って奥入瀬焼山へ行くのです。ちなみに八甲田山という単独の山はなく,18もの火山群の総称が「八甲田山」です。
(写真は,上から3層6本足掘立柱,茅葺き倉庫,高床式倉庫群,そして下が有名な遮光器土偶。しかしこの土偶,目の表現といい,口元のおちょぼ口の様子といい,宇宙人としか思えません。)
昨日ご紹介した奥入瀬渓流散策に続き,本日は奥入瀬渓流ホテルのアクティビティーとして行われた日本一大きいブナの木のツアー,「森の神ネイチャーツアー」の様子をお伝えします。
ツアーといっても1時間半程度のアクティビティーです。ホテルのロビーに朝7時に集まり,そこからマイクロバスに乗って15分ほど,バスを降りて森に入り5分くらい行ったところに「森の神」として崇められてきたブナの巨木があります。推定樹齢約400年,幹回りは6mを超える単木でおそらく日本一大きなブナだろうということです。ブナの木は成長が比較的ゆっくりとした種類の木で,ちょっと太いなと思えるブナでも,樹齢は100年を超えているそうです。
昨晩深夜に降った雨で足元はぬかるんでいるだろうということで,例によってホテルの長くつの無料貸し出しを利用します。東京なら午前中は少なくとも保つだろうという空模様でも,ここでは天気が変わりやすく傘は欠かせないということで,ツアーガイド兼マイクロバスの運転手さんが人数分の傘をバスに積み込んでの出発です。実際,たった片道5分の歩行の間にしっかり雨が降りました。しかし広葉樹林の中では,雨はほとんど人に当たりません。たまたま最近倒木があってぽっかり空間が空いている場所のみ傘が必要です。
森の主のようなブナの木の様子は,写真でご覧ください。
ここら辺は,ツキノワグマの生息地です。ブナの木の木製の説明版もクマに攻撃されるそうで,かなり傷がついていました。クマの手形もついていました。
奥入瀬の森はほとんどが広葉樹林です。広葉樹林は毎年葉が落ちて新しい葉が茂るので,葉の厚さが薄く比較的明るい森になるそうです。足元は落ち葉が堆積していますが,ブナの落ち葉は5年くらいしないと腐敗せず,落ちてから5年間はその形を保っているとの事です。
このツアー,ホテルの有料アクティビティーですが,なかなか印象的な小ツアーでした。
(写真は上から,もちろん日本一のブナの木2枚,ブナの木の看板,看板の裏につけられたクマの手形,三枚目の看板の右方の柱にはクマが攻撃した跡が残っています。以上4枚の写真のうち,下の2枚はクリックすると拡大します。)
8月最後の週末を利用して,青森県の奥入瀬渓流に行ってきました。目的は,奥入瀬渓流沿いのハイキングです。
奥入瀬川は,十和田湖の子ノ口から流れ出て八戸で太平洋に注ぐ河川です。十和田湖から流れ出る唯一の河川で,十和田湖の出口,子ノ口から14km下流の焼山までを奥入瀬渓流といい,十和田八幡平国立公園の区域内です。
その焼山にある奥入瀬渓流ホテルという星野リゾートのホテルに泊まって,そこから上流に向かって十和田湖まで散策しようという計画です。しかし,その道程は14km。全部歩くと5時間かかります。そこで歩くのは石が戸から雲井の滝までの1時間ほど,そこでまたバスに乗り銚子大滝で降りて,そこから十和田湖子ノ口まで30分最上流部を歩くことにしました。
奥入瀬渓流ホテルは,30分に一本程度焼山のホテルから奥入瀬渓流の中程,雲井の滝まで無料シャトルバスを運転しており,これに乗って途中の石が戸で降りて1時間ほど歩きます。
実はその石が戸から上流,三乱の流れ(さみだれのながれ)までは,すでに早朝歩いていたのです。ホテルのアクティビティーとして「渓流モーニングカフェ」というのがあります。これは朝4時50分にロビーに集まり,ホテルのバスで三乱の流れまで行って,渓流沿いの遊歩道を石が戸まで歩き,石が戸の野外でコーヒーをいただき,そこからバスでホテルに帰ってくるという1時間ほどのアクティビティーです。特に料金はかかりませんが,予約は必要です。これに参加したために,渓流中流域の始まり,三乱の流れから石が戸までは散策済み(薄明かりの中の早朝ではありますが)というわけです。
この早朝のアクティビティーでは,ホテルから石が戸で珈琲をいただくまでは雨が降っていませんでした。しかし歩き終わって珈琲を飲み始める時には雨が降り始め,かなり土砂降りになりました。山の天気は変わりやすいということで,雲行きが怪しいという説明がホテルを出る時にあって,ホテルで傘と長くつを借りていました。時期的なものもあるかと思いますが,なにかと傘と長くつは必要です。晴れているようでも,渓流沿いの遊歩道では足元の悪い部分もあり,ホテルでの傘と長くつの無料貸し出しはとても役に立つサービスでした。長くつはホテルのフロント横の長くつ部屋に,壁一面に細かい棚が作られ,各種サイズごとに分かれて長くつがびっしり並べられていました。私が借りたのは,長くつとはいえしゃれたオレンジ色の靴紐がついたものでした。
さてお目当ての渓流沿いの散策。ホテルからホテルのシャトルバスで石が戸へ,そこで降りて渓流沿いの遊歩道を歩きます。折から雨の後での散策でしたから,渓流は水量も多く,水も茶色く濁っていました。
1時間くらい歩いて雲井の滝着。雲井の滝からはJRのバスに乗ります。青森駅や八戸駅からホテルのある焼山を通って,ホテルの無料シャトルバスと同じ経路を,JRバスが運行しています(ホテルのシャトルバスは雲井の滝止まり。JRバスはその先,十和田湖まで走る)。銚子大滝でJRバスを降り,そこから十和田湖までまた歩きです。
銚子大滝は渡良瀬川本流にかかる唯一の滝です。この滝を含めて,渡良瀬渓流上流沿いで見られる滝は14本ありますが,銚子大滝以外の滝は支流から渡良瀬川に落ちる滝です。
この辺り,十和田湖に近く,支流の雨降り後の濁った流れがあまり入っていない区間なので,奥入瀬渓流の流れもあまり濁っていません。いい感じの流れになっています。
その後渓流沿いを歩くこと30分,やがて水門が見えてきて十和田湖子ノ口に到着しました。
ここからまたJRバスに乗り,10kmほど湖畔沿いに行った休屋(やすみや)というバスの終点で降りました。ここから十和田湖の観光船に乗ります。
約50分,船内放送で周りの景色の解説を聞きながら過ごして,子ノ口に戻りました。
ホテルへの帰りは子ノ口からJRバスで一気に焼山のホテルまで。バスの窓越にもたくさんの滝が見え,路線バスの車内放送で解説が入ります。十和田湖周辺の上流はだいぶ透明な流れが回復していました。しかし,下流域ではやはり茶色く濁った流れでした。このまま雨が降らなければ,水量も落ち着いて,これまで見えなかった川の中の飛び石のような岩が見えるようになり,翌日には下流域まで透明な流れが回復するそうです。
奥入瀬渓流ホテルの評価として,20本に1本くらい,高価なホテル代に対して,食事や従業員のサービスがそれほどでもないという評価が見受けられますが,いったいどんなシティーホテルを期待しているのだろうかと思います。実際泊まってみて,そんなサービスより,突然変わる天気に対応した無料の長くつのサービスとか,傘のサービスとか,渓流の好きな区間をハイキングするための渓流沿いを走る30分に1本のまるで路線バスのような宿泊客専用シャトルバスのサービス(無料です)とか,森の中で,天気かと思ったら突然の雨も降り,虫が多い地域にあるホテルの部屋の広い窓が常にシミひとつなくキープされている窓拭き(多分チェックアウト後にその部屋の窓を拭くのだと思いますが,チェックアウト時間後の窓拭きを見かけました)とか,そのようなサービスこそ重要だと思います。お金をかけるのならば,そういうサービスにお金をかけることで正解だと思いますよ。渓流散策などからホテルに快く疲れて帰ってきて,ホテルのスタッフから丁寧に挨拶され,もてなされたら,むしろ「うざい」と感じることでしょう。帰ってきたら,まず早く温泉に入りたい。それが叶えられれば,それで十分です。そもそも,長くつのサービスをありがたく利用しないような滞在は,「別のホテルに行ったらいかが」と思いますwww。
(写真は上から,中流域の「渡良瀬渓流」,渓流沿いに見える14の滝の一つ「雲井の滝」,十和田湖からまさに流れ出た「子ノ口の渡良瀬川」,濁った最初の写真に対し水が透明であるのがわかります。次はその写真の位置で振り向いた「十和田湖」の景色です。十和田湖は流れ込む川がなく,雨が降っても土砂が流れ込まないので非常に水は綺麗です。従ってひとつ前の写真のように,十和田湖から流れ出始めた渡良瀬川の水は雨の後でも綺麗ですが,中流域,下流域になるにつれて,流れ込む主に5つの支流のために,雨が降れば濁りが増していき,最初の写真のように泥水になります。しかし雨が止んで一日経つと,綺麗な水に戻るそうです。以上4枚の写真のうち,下の2枚はクリックすると拡大します。)
某スーパーを訪れたら,「森永コーラス」を売っていました。
乳酸菌飲料というと,やはり「カルピス」が代表的で,どこでも手に入ります。コカコーラから発売されている「アンバサ」は,ファミレスのドリンクバーに結構あったりします。しかし「森永コーラス」は最近目にしなくなっていて,もう販売していないのかと思っていました。
いやー,懐かしい。
以前紹介したけ「経営者募集中」の看板が出ていた元ファミリーマート,何と9月末に再度開店するらしいです。昨日前を通りかかったらその旨掲示が出ていました。
この元ファミマは,サークルKサンクスとして開店し,ユニーとファミマの経営統合によってファミリーマートに店名が変わって6か月後,突然閉店してしまいました。しばらくすると「経営者募集中」の看板が出て,数日前にそれが撤去されたと思ったら,今回の再開の掲示に変わったわけです。
閉店時,内部の棚などの設備,エアコンも撤去されてしまい,もうすっかりドラッグストアにでもなるのかと思ったら,同じファミマとして開店。「居抜きでよかったじゃないか」との声が近所ではしきりとの事です。
最近のコメント