絹の道の終着点
ここでいう絹の道(シルクロード)は,八王子から横浜までの,正にかつて生糸が運ばれた道のことです。幕末から明治にかけて,日本の主要な輸出品であった生糸が,長野,山梨,群馬等から八王子を経て横浜に運ばれ,外国に輸出されていきました。その八王子と横浜の途中にあって,生糸の貿易を担った豪商が何人も生まれた村が,今では八王子市内となっている「遣水」という村です。生糸を運ぶために敷設された八王子と横浜を結ぶ横浜鉄道(現在のJR横浜線)も,当初この遣水という村を通る予定でしたが,反対にあって遣水を避けるように南側を迂回するコースを取っていると言われています。
生糸商人である遣水商人の興亡については,辺見 じゅんの「呪われたシルク・ロード」という本にまとめられています。
黒船が来航し,幕府が正式に横浜を開港して,正式に生糸が輸出されるようになったのですが,実はその前から遣水商人は生糸の密貿易を行なっていて,それは横浜の港からは完全に死角になっている "横浜の天神山" に商品を隠し,沖に停泊した外国船にこっそりと荷を運ぶという話が,遣水で伝えられていました。辺見じゅん氏は,横浜でこの天神山を探します。しかし,横浜に "天神山" という山や島はありませんでした。様々に調査を行い, "天神山" というのは,本牧の海に面した "十二天社" という神社がある場所であると見当をつけました。その場所が,八王子から横浜へ続く日本のシルクロードの,開港前の終着点だったわけです。
この十二天社は,いまでは既に当時の場所にはなく,神社自身も本牧神社という名に変わってしまいました。しかし当時の十二天社の場所は,いまでは十二天緑地として横浜市が管理しています。この緑地自身は保存緑地であり,金網に囲まれてかつての十二天社があった場所には入ることはできません。しかしかつて海沿いであった崖やこんもりとした十二天の丘を金網の外から望む事ができます。
上の写真が十二天社のあった丘の全景。当時は左上の写真のように,崖下(上の写真の右側)が海だったわけですね。左上の鳥居のある写真は,十二天緑地広場にあった看板の写真です。下の写真は,その丘の崖側の写真で,当時もこんなふうに海に面して崖が聳えていたのでしょう。今では海が埋め立てられ,あまり当時の面影もないのかと思って行ってみたのですが,どうしてどうして,結構当時の風情を彷彿とさせる場所でした。
辺見じゅん氏の「呪われたシルク・ロード」という本は,既に紙の本(角川文庫版)は絶版になっているようで,私も電子書籍で読みました。私も昔は紙の本で読んだのですが,それがどこへいってしまったのかわからなかったので電子書籍で再読したのです。ちなみにアマゾン書店では,古本が7980円といい値段になっていて,一方私が買った電子書籍は495円でした。
紙の本には写真や地図などが入っていたはずですが,電子書籍には入っていません。紙の本の完全復元版ではないのですね。もっとも,紙の本の写真は,印刷の具合か,結構品質が悪かった記憶があります。
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