久末の小字名
昨日書いた大字「久末」地区ですが,この久末には25の小字があるそうです。その一つが昨日の「十二天丸」で,十二天社(神社)がある小高いところという意味がある様です。十二天社というのがどこにあったのか不明ですが今の所在地はわかっています。伊勢原という小字のあったところ,久末天照大神社("ひさすえあまてらすおおかみしゃ"と読むそうです)が現在の十二天社です。・・・というより,この久末神社,かつての久末村の各小字にあった数々の神社,二つの杉山神社,面足神社,十二天社,道祖神を,この地にあった神明宮という神社に合併したもので,その段階で久末の総鎮守となったものなのです。
さてそんな十二天社がかつてどこにあったのか調べてみました。十二天丸という小字には2つの神社があったそうで,一方「風土記巻之六 橘樹郡之六」には,十二天社について「城法谷にあり,小祠にて西向きなり,妙法寺持」という記事が載っています。十二天丸ではなく城法谷にあるというのが奇異です。城法谷というのは,県道106号線を走るバスから見える,巨大なマンションがあり,かつて2億円が発見された竹藪のあった谷戸の事ですから,十二天丸地区の麓にあたります。
ここは,十二天丸地区にあった2つの神社の位置を調べてみようと思ったのですが,昔の地図というとお世話になる「今昔マップ」をみてみました。そうしたら,明治39年版の地図の十二天丸地区に二つの神社のマークを発見しました。一つは地区の中央部西方,もう一つは地区の入り口,地区の北方です。上の写真のうち,左が西方の神社の位置,右が今では駐車場になっている北方の神社の位置です。まあはっきりしたことは分かりませんが,北方の駐車場は十二天丸地区への入り口であり,また城法谷地区への入り口でもある様な位置ですから,この駐車場にあった神社が十二天社だった可能性が高いのかなと思います。まあ,本当のところはわかりません。
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