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2022/11/05

海軍東京通信所蟹ヶ谷分遣隊耐強受信壕跡

 以前も紹介した散歩の場所として気に入っている川崎市久末辺りのGoogleマップを眺めていたら,城法谷という谷戸の奥西側に「海軍東京通信所蟹ヶ谷分遣隊耐強受信壕跡」と書いてあるのを発見しました。
 これはいったい何だろうと思ってネットで検索してみると,旧日本海軍が昭和5年に設置した無線受信所の関連施設の様です。その本体は城法谷という谷戸の東側の丘の上に当たる蟹ヶ谷にあった様ですが,大戦末期の昭和18年に,激しくなった空襲を避けるために地下に発電機や無線機器を設置した耐強受信壕という地下施設が作られました。それが「海軍東京通信所蟹ヶ谷分遣隊耐強受信壕」というわけです。
 久末ならば私の散歩コースだという事で,そこに行ってみました。この施設は,ネット上ではなかなかたどり着くのが難しいといわれており,探すのに1時間以上もかかったという記事もありました。私は土地勘があるので,城法谷の谷戸頭付近という事で,すんなりたどり着きました。
(写真はクリックすると拡大します。)
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 この「海軍東京通信所蟹ヶ谷分遣隊耐強受信壕跡」は,今となっては案内看板と金属の蓋がついているコンクリートの小さな構造物しかありません。この立派な看板には,「川崎市平和館」の署名がありました。川崎平和館は,東横線元住吉と武蔵小杉の間にある中原平和公園の中にある市立の平和展示場です。その平和館に行ってみると,現地を見学した「耐強受信壕跡」の地下断面模型が展示してありました(下の写真)。以前私が紹介した十二天丸という丘の地下に,この耐強受信壕があったわけです(当時は知らなかった・・・)。
 模型とは別に,私が先ほど写真を撮った金属の蓋がついているコンクリートの小さな構造物の写真が展示してあり,壕入口と書いてありました。本来の入口はもっと大きなものだったのだと思いますが,それをコンクリートでふさぎ,調査等で中に入るために鍵付きの金属の蓋を後に付け加えたのだと思います。
 この壕と日吉の慶応大学構内の海軍地下壕はケーブルで結ばれていたといわれています。この周辺,なんとなく戦争遺構っぽい場所なのですね。平和館のある中原平和公園は,返還されるまでは米軍施設でした。

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