森博嗣の「刀之津診療所の怪」
先日,森博嗣の長編推理小説「赤緑黒白」を紹介した時に,短編「刀之津診療所の怪」(短編集「レタスフライ」所収)にも言及しました。そしてそれを読みたくなったといったのですが,どうせkindleの中に入っているのだからという事で,久方ぶりでもう一度読みました。
この作品では,診療所の医師の名前も,診療所を月に一回程度訪れる男性?の名前も,一切明かされていません。しかし,Vシリーズを読んだ読者なら,この50代くらいの医師は小鳥遊練無であり,男性?は香具山紫子であると推測できます。特に医師については,その最後のセリフ,診療所を訪れた西之園萌絵の叔母である佐々木睦子に対して「懐かしいなあ。お茶でも淹れましょう。フランソワ」と呼んでいることから,小鳥遊練無で確定です(フランソワについては,短編集「今夜はパラシュート博物館へ」所収の「ぶるぶる人形にうってつけの夜」を参照)。その佐々木睦子が作中で男性?の事を「では,グライダーを飛ばしに来る人ってあの方だったのね?」といっており,それを小鳥遊練無が否定いていないのです。つまり「ぶるぶる人形にうってつけの夜」で知り合った佐々木睦子が練無との関係で「あの方だったのね? そう,背の高いボーイッシュな感じだったわ。」という人というと,香具山紫子しかありえないでしょう。
小鳥遊練無が小島の診療所の医師になることについては,「赤緑黒白」に伏線がありました。瀬在丸紅子の「小鳥遊君,どうしてお医者さんになりたいの?」という問に対して,練無は「なんとなく。ほら,離れ小島に行ったりするんだよ」と答え,「ああ,そういうイメージか」と紅子が応えるという会話がありました。白刀島という静岡県の小島の診療所に赴任することは,練無の夢が実現したという事なんですね。
さて,男性?が香具山紫子だったとして,作中,練無は加部谷恵美の「ここへやってくる背の高い黒い服を着た人っていうのは,どなたなんですか?」という問いに対して,紫子の事を「僕の身内」と言っているのです。この身内というのが "妻" という意味かどうかが気になるところです。おそらくこれは "妻" という事でいいと思いますね。先日「赤緑黒白」の紹介の時に書いたように,「赤緑黒白」のプロローグで保呂草が小鳥遊練無と香具山紫子の関係に言及し,「お互いに自分が持っていることに気づいていない磁石,その微かな引力を部外者の私が感じている」といっているのです。これはつまり,練無と紫子がこの時から微かな引力(磁力)で引かれあっていたという事でしょう。その結果の「刀之津診療所の怪」というわけです。妻か,少なくともパートナーですね。
紫子さんは,Vシリーズの長編「夢,出会い,魔性」の最後に,男装の女流探偵,赤柳初朗としきりに連絡を取っているという描写があり,そもそも刑事か探偵になりたいと言っていましたから,たぶん赤柳初朗にならって,男装の探偵になっているのかと想像します。「刀之津診療所の怪」のなかで,佐々木睦子が練無に「どうしてこの島で一緒に住まないの?」と尋ねたとき,練無は「彼女は仕事があるんですよ」と答えています。島ではできない仕事=探偵の仕事ということなのだと推測します。
こうなってくると,「ぶるぶる人形にうってつけの夜」についても再読したくなってきました。
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