中原街道は中原御殿を目指す
先日紹介した中原街道。先日は綾瀬市の女坂辺りへ行ったという事から中原街道を話題にしました。うちの近所を通る街道で,その起源は古代ともいわれており,古道といってもいいでしょう。徳川家康が江戸に入ったのも,中原街道を通ったともいわれています。本格的に整備されたのは江戸時代。江戸幕府によって整備されました。鷹狩に使用されたという平塚の中原御殿という将軍家の別荘と江戸を結ぶ将軍が通る街道として整備されました。
さてこの街道,現在では,東京から丸子橋で多摩川を渡り(昔は福山雅治が歌う桜坂から丸子の渡しで多摩川を越えていました)神奈川県に入ると神奈川県道45号線となります。その45号線は,茅ヶ崎中央通りとなりJR茅ヶ崎駅にぶつかって終点となります。
しかし中原街道は,平塚市中原へ行きつかなくてはなりませんから,茅ヶ崎駅にぶつかる前にどこかで右に曲がって相模川を越えなければなりません。それが,寒川町の「田村の渡し」だと言われています。田村の渡しは,中原街道と大山街道の2街道の渡河を担当していたそうです。現代の大山街道というのは県道44号線で,たしかに県道45号線と景観寺前という交差点でぶつかっています。県道45号線は景観寺前交差点で左折してしまいますが,中原街道としては右折して44号線の方に向かわなければなりません。
実際のところは,GoogleMapで見ると,寒川町の日産工機のあたりに旧中原街道の碑がありますから,この寒川町のあたりでは県道45号線とは離れたところを通っていたのでしょう。
江戸時代の中原街道としては,相模川を渡って平塚市に入り,中原御殿跡である平塚市立中原小学校に至ればいいのですが,江戸時代より前の中原街道は,東海道とつながっていたはずですね。
ネットを検索していたら,中原街道を歩いて辿った方のブログを見つけました。昔の中原街道を推定した地図がこのブログに掲載されていますので,URLを紹介しておきます。↓
https://miwa3k.hatenablog.jp/entry/nakaharakaidou_hosoku
(上の写真はGoogleStreetViewで見た,中原御殿の碑です。中原小学校にあります。)
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