別の小高駅家跡候補
先日,古代の東海道の駅家である小高駅跡を紹介しました。その場所は,古くから小高台と呼ばれ,新作小高台遺跡のある新作小学校周辺という事でした。
その時の私のブログを見た知人から,小高駅家の所在地として,別の場所を比定した本を読んだことがあるという話を聞きました。その本の名前は憶えていないという事ですが,武蔵小杉の川崎市立中原図書館の郷土史の棚にあった本だという事です。その資料によると,その著者が小高駅家として挙げているのは,千年伊勢山台遺跡跡の橘樹群衙付近だという事です。新作小学校付近の小高台は,都筑郡衙と橘樹郡衙を結ぶ線からいささか離れており,さらに両郡衙を小高台経由で結ぶのでは,わざわざ小高台に上り,駅家へ寄った後また小高台を下る必要があって,道の高低がありすぎて不便。それよりも橘樹郡衙が乗っている高台に駅家があったと考える方が自然だろうという事です。
そういわれてみるとそうなんですよね。新作小学校付近は独立した高台で,道がそこを通っていたとなると,前述のようにわざわざ駅家を訪れるために高台を上り下りしなければなりません。千年伊勢山台なら中原街道にも沿っているし,郡寺だったかもしれないという古代から存在した影向寺も近くにあって,古代の繁華街という趣があります。また実際のところ,新作小学校建設時の発掘調査では,新作小高台遺跡と名付けられる縄文から古墳時代にかけての遺跡は見つかりましたが,駅家らしい遺跡は発掘されませんでした。
千年伊勢山台に小高駅家があったというのは,小高台説より説得力があるように感じます。歴史の真実はいかに?
(写真は橘樹郡官衙跡。GoogleStreetvieの映像です。)
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