小高駅家
東海道というと,思い浮かべるのは江戸時代に,松潤じゃなくて家康によって定められた五街道の筆頭というイメージでしょう。川崎の街中にも,旧東海道という石碑が立っていたり,旧川崎宿などという石碑が立っていて,その周りには老舗の和菓子屋さんがあったりします。
しかしもちろん,江戸時代より前に東海道はあったわけで,ネットでは「古代東海道」などで検索すれば,いろいろな記事が出てきます。ここで「旧東海道」などと検索すると,江戸時代の家康の東海道になってしまいますから,注意が必要です。
さて,これらの記事によると,約30里,今の単位で言って16km毎に,駅家(単に "駅" といったり,"えきか" と読んだり "うまや" と読んだりするようです)が設けられ,旅人に奉仕する人足や馬が常備されていたとの事です。
武蔵の国では,大井駅(今の大井町,といっても大田区の新井宿という説もあり。というか,時代によって駅馬の位置も変遷があるらしいですね)のひとつ手前の駅家は,川崎市の小高(おだか)という駅になるという話が,ネットのいたるところに出てきます。この小高駅跡に行ってきました。といっても,古代小高駅の場所は,私の散歩コースの一つで,家から歩いていくのは大変ですが,バスに乗って散歩に出かけるコースの一つです。川崎市新作と末長の境界付近,現在の新作小学校のあたりと言われています。ここら辺は,私にとっては「新作」とか「末長」とかいう場所で,「小高」という地名は聞いたことがありませんでした。古代東海道の駅で川崎市高津区辺りに「小高」という駅家があったと知り,聞いたことのない地名だったのでどこだろうと調べたら,何回か散歩に行っていた場所だったのです。
ここらあたり,もちろん古代のなんらかの痕跡が残っているわけではありませんが,家が立ち並んでいるとはいえ,市民農園が広がり景色を見晴らせる場所だったりして,心惹かれる高台です。あたりを歩いてみると,「おだかの郷」という施設もあり,そのホームページには,「古代東海道の小高駅として昔からこの高津周辺地域を指して使われて歴史のある地名『おだか』を施設名としました。」と書いてありました。ここらへんの古い地名は,たしかに「おだか」というようです。また,新作小学校建設時に川崎市が行った遺跡調査では,縄文・弥生・古墳時代の遺跡が発見され,新作小学校を含む高台全体から遺跡が発見されているようです。新作小高台遺跡と名付けられていました。やはりここら辺は「小高」という地名があったのですね。新作小高台遺跡は,全体としては縄文時代から中世に及ぶ遺跡だという事です。
左上の写真が新作小学校,その下が「おだかの郷」,以下の写真は新作小学校の周りの景色です。どちらも新作小学校を背にして撮った写真です。
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その後,小高駅家の比定地については,様々な説があることが分かり,新作小学校の位置よりもっとそれらしい位置を小高駅家にあてた説があることが分かりました。
そんな説を2か所ほど,下の記事で紹介しています。
①別の小高駅家跡候補
②小高駅家所在地の別の説
(写真はクリックすると拡大します。)
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