イネスの「Lament for a Maker」が和訳され,Kindleで販売されている事は知りませんでした。舞台となるのは,スコットランドのキンケイグという村で,そこの高台に建つエルカニー城での城主の墜死がメインテーマになります。
江戸川乱歩の有名な評論集「幻影城」の中にイネスの紹介があり,この「Lament・・・」の内容として「はじめ三分の一ほどが古いスコットランド方言丸出しの記録で,普通の字引きに無い言葉が多く,殆んど理解しえなかった」と言っています。この "はじめの三分の一" の語り手というのが,イーワン・ベルという靴直し職人で,おそらくこの部分がスコットランド方言で書いてあるのでしょう。和訳された文章では,そこら辺の機微はわかりません。
この作品は,第一部から第七部まで,7章に分かれていて,第一部の靴直し職人に始まり,第二部が大雪で車が立ち往生して城に滞在している青年ノエル・ギルビー,第三部が弁護士のアルジョー・ウェダ―バーン,第四部がイネスの推理小説の常連であるジョン・アプルビイ警部といった具合に語り継がれ,最後第七部に至って第一部の語り部である靴直し職人のイーワン・ベルに戻って,事件解決後の村の様子,城の様子,登場人物たちのその後の様子が語られて終わります。そして,死体が出てくるのがイーワン・ベルの語り部分の最後ですから,初めから三分の一を超えたところです。はじめから三分の一のところでやっと事件が起きるわけです。ところが,第二部の語り手に替わって,しばらくはその青年がキンケイグ村のエルカニー城を訪れる経緯が長々と続き,城主ラナルド・ガスリーの墜死が描かれるのが,初めから45%のところとなります。
こう書くと,つまらない推理小説のように感じるかもしれませんが,キンケイグ村とスコットランドの古城の描写はそれなりに興味深く,ミステリーとは違うところで楽しいものでした。
最後には連続するどんでん返しとなります。しかし,殺された人が読者が考えているとおりの人でない事を読者が途中で疑うような書き方をしていません。クリスティなら,もっと前から,ひょっとしたら殺されたのは別人かもしれないと仄めかすような書き方をするでしょう。イネス流では,話の途中で謎興味が盛り上がらないのです。正体が知れた時,読者は驚愕するかも知れませんが,途中の謎興味は盛り上がらない。真犯人にしても,読者が疑わないまま,「私が殺したのだ」と突然独白し,あの人か?,この人か?という謎興味は途中で盛り上がらない。疑いもしなかった人物が独白して,驚愕はするけれど・・・。
という事で,落ち着いてじっくり読むには面白い推理小説でしたが,読んでいる途中で背中がゾクゾクするような謎小説というわけではありませんでした。
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