アガサ・クリスティーの「杉の柩」
アガサ・クリスティーの「杉の柩」を読んだわけですが,今回これは3度目くらいですね。最近あまり英語に触れていないものだから,英語の勉強のためにイギリスで製作されたドラマ(英語版)の「杉の柩」を見て,原作をもう一度読んでみようと思ったのが読書のきっかけです。だから,犯人もトリックも熟知している状況での再読でした。
事件は,主人公といえるエリノア,その婚約者ロディ―,誰からも愛されるメアリイの三角関係に筆が費やされ,その一角,メアリイが殺害される。当然,三角関係が事件に関係していると思う。しかし・・・・・,という物語(ミステリーの紹介は難しい)。クリスティーの傑作,「死との約束」が同じ趣向の作品だった。もちろん「死との約束」は三角関係の話ではないし,舞台も「杉の柩」の様にイギリスのお屋敷内というわけでもないし,殺害に関するトリックも全然違っているが,大きく俯瞰した趣向としては,同じものですね。クリスティーには,この趣向の作品が他にもあるように思います。
「趣向」とだけ言っては不親切のようですが,下にその「趣向」を書きますので,未読の方,クリスティーをあまり読んだりドラマを見たり映画を見たりしていない方は,目をつぶってください。↓つまり,「杉の柩」だったら三角関係に焦点が当てられているように見えて,実は殺人事件に三角関係は関係なく,実はお金が動機だった。当然犯人も,三角関係内の人ではありませんでした。上に述べたように,三角関係の話は冒頭から40%の位置までを占めているにもかかわらず,実は関係ないのです。無関係の部分と言っても,その40%の部分に事件の伏線はたっぷりと埋め込まれています。
「死との約束」は,家族同士のもめごとが殺人事件の引き金になっているように描かれていて,家族内に犯人がいるように思われるが,実は家族には関係ない過去のある事実が引き金だった,といった具合。表立ってスポットライトが当たっている明らかなトラブルは殺人事件に関係なく,その裏でうごめく闇の部分が殺人事件を生んだという事です。
何しろ,3度目の「杉の柩」,しかもデヴィッド・スーシェがポワロを演じたドラマ版を見た直後という時に,何もかも知っている状態での読書でしたが,だからこそクリスティーが施した大胆な伏線の数々を味わう事ができました。今回再読して,推理小説のこういう読み方もありだとつくずく思いましたね。まあ,再読に耐え得る物語の面白さがあるからこその話ですけれど。
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