スピルバーグが58年ぶりに再映画化した「ウエストサイドストーリー」を見てきました。3D映画ではなく2D映画ですが,IMAXシアターのかなりかぶりつき附近で観たので,結構な迫力でした。
ロバート・ワイズ監督版は1961年度公開ですから,私が初公開時に観ているわけはなく,多分何回目かのリバイバル公開時に観たものと思います。ビデオテープ版(DVDがなかった頃のテープ版)を持っていたので,作品は映画館以外でも何回も観ています。
さて今回のスピルバーグの新作,観終わって最初の印象は,「前作と変わらないじゃない」というものでした。その前作と変わらないというイメージがどこから来るかというと,主として音楽ですね。「サウンドトラックは前作のを使ったの?」と思うくらい前作とスコアが似ています。例えば「マリア」を静かに連呼する「マリア」の出だし,「トゥナイト」の運び。もちろんシェイクスピアの原作をなぞった基幹となる筋立ては同じ。原作のモンタギュー家とキャピュレット家を白人とプエルトリコ系移民におきかえた主題は "人種問題" であるのも同じ。プエルトリコは,アメリカの自治連邦区で,移民と言っていますが,合衆国内の地域です。また,白人のジェット団がポーランド移民という設定は前作からあったらしいのですが,私には認識がありませんでした。
しかし,細かく思い出してみると,結構違うんですよね。ワイズ版の初っ端はマンハッタン島の空撮。それがグッとマンハッタン島にカメラがよっていって西へ西へと移動。地上に降りたらそこはニューヨークのウエストサイド。バスケット運動場の片隅で指を鳴らしながらたむろするジェット団の面々という具合。スピルバーグ版は初めから地上のウエストサイド。鉄球で取り壊されているビル群。そこにできる予定のリンカーンセンターの想像図看板。そこに現れるジェット団。映画の冒頭,ほんの5分くらいで,セリフなし,映像だけで説明される社会情勢と舞台となる時代の説明。後で考えると見事な導入部です。時代説明のダメ押しはクラッシックなパトカーの出現ですね。
スピルバーグ版は,冒頭部分からも窺えるように,より社会情勢を鮮明に描いていると言えるでしょう。人種問題と貧困と貧困者が地区から追い出される再開発。それにジェット団に入りたくて周辺をうろついているLGBTのキャラクターも出てきます。1961年版でも同じようにジェット団に入りたいキャラクターがいて,今回の2022年版をみるまではただのボーイッシュな女の子だとばかり思っていたのですが,1961年当時としては精一杯のLGBT表現だったのかもしれません。実際「クラプキ巡査殿」の歌詞の中に「姉妹は髭をはやし,兄弟はドレスを着る」という表現が出てきていて,当時からいまでいうLGBTは意識されていました。しかし,スピルバーグ版では,彼(彼女?)がLGBTである事がより明確に表現され,最後の方では,彼(彼女?)がジェット団に受け入れられる事が明確に描かれます。
その他に目立つ違いとしては,「アメリカ」を歌い踊る場面。1961年度版ではアパートの屋上,2022年度版ではストリート。まあ,今「アメリカ」という派手なナンバーを歌い踊るとしたら,ストリート以外にはあり得ないでしょう。屋上とストリート,歌い踊る場所は違いますが,音楽だけ聴いていると,1961年版と2022年版で印象は全くおなじです。
さらに一番目立つ大きな違いは,ジェット団が屯しているドックのドラッグストアです。1961年版ではおじいさんのドックが取り仕切っていますが,スピルバーグ版ではドックは既に亡くなっており,妻であったバレンティーナというおばあさんが女主人です。そのバレンティーナを演じているのが90歳になったというリタ・モレノ。スピルバーグ版のエグゼクティブプロデューサーも勤めている女性で,1961年版のアニタを演じアカデミー賞を受賞した人です。1961年版では「サムホエア」を歌うのはマリアとトニーですが,今回はこのドラッグストアの女主人が独唱します。トニーは,マリアにスペイン語で愛を告白しようと,デートの前に彼女にスペイン語を習っています。この「サムホエア」は,1961年度版ではラストでトニーがチノに拳銃で打たれて倒れてから,マリアに抱きかかえられながら瀕死でマリアとデュエットし,マリアの腕の中で死んでいくという印象的な使われ方をしていたナンバーでした。2022年版では,ふたりは「サムホエア」を歌いません。「サムホエア」は2022年版では前述のようにバレンティーナが歌うナンバーで,マリアとトニーのナンバーではないのです。
ミュージカルナンバーの順番も入れ替えられ,全体的な構成にも手が加えられていて,見事にワイズ版とは違う,2022年のスピルバーグのウエストサイドストーリーになっています。
配信されているサウンドトラックを購入して聴いていると,各ナンバーを聞きながら思い浮かべるのは1961年版の場面で,前述のように,音楽は前作と印象は変わらず,しかし映画としてはスピルバーグ映画になっているという,そんな映画だと思います。スピルバーグには,ブラボーと言っておきましょうwww。
今回は英語・字幕版を見たのですが,日本語版はどうなっているのでしょう。歌まで吹き替えているのでしょうかね? ウエストサイドストーリーは,日本での劇団四季や宝塚などの舞台版があるのだから,歌詞も日本語になっているはずで,歌も日本語で歌おうと思えば歌えるのですがね。
1961年版を見たことのない若い知人が,「ダンスパーティーで一目惚れして,ストーカーのように彼女のアパートに行って,非常階段をよじ登って彼女の部屋まで行ってしまい,その後2〜3日でベッドインするってどうなのよ」と言っていましたが,その展開はシェイクスピアの原作どおりなので仕方ないですね。それに,あれだけ対立しあっている2つのグループに属する彼と彼女が引きあって恋をするとすれば,それは一目惚れ以外にあり得ないでしょう。「死者がたくさん出るのだけど,主人公の2人は最後になんとかハッピーエンドになってほしかった」とも言っているのですが,悲劇に終わるのはシェイクスピアの原作通りなのでこれも仕方ないでしょう。そう言ったら,「シェイクスピア先生を持ち出されたら,納得するしかない。」との事でした。
この知人には,フランコ・ゼフィレッリ監督の名作映画「ロミオとジュリエット 」を観るように勧めました。
(写真はアマゾン書店より。スピルバーグのウエストサイドストーリーのサウンドトラック版のジャケット)
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