2021/06/11

XM4

Wireless-earphone SONYが,噂されていたワイヤレスノイズキャンセリングイヤホン「WF-1000XM4」を正式発表しました。
 現在のXM3よりさらに進んだノイズキャンセリング性能,音質を達成しているという事です。
 まあ,SONYのノイズキャンセリングワイヤレスイヤホンは,XM3でほぼ完成されてしまい(といってもソフトのバージョンアップは時々来るが),3が4になってもiPhoneのようにちょこっとバージョンアップという印象かな。
 ノイズキャンセリングについては,XM3くらいのレベルになると,むしろイヤホンハードではなくイヤーピースの耳へのフィットが問題になるレベルだそうで,補聴器専門店で自分の耳の型取りをやってもらい,専門のイヤーピースメーカーにイヤーピースを発注するというのが最高だそうです。XM4よりむしろそっちを試してみたいものです。しかし,試すというレベルの値段ではないらしい。

 まあ,今使っているXM3を落としてなくすとか,XM3が壊れるとかすればXM4を買わざるを得ない。でもなかなか耳の中で安定ホールドしていて,飛んでも跳ねても走っても,なかなか落ちないんですよね。なかなか壊れないし・・・。
 いつどこで落とそうか・・・www。

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2013/03/18

ゲーム「逆転裁判」をやっています

Game カプコンのゲーム「逆転裁判」をやっています。逆転裁判は4本が作られ,本年度中に5作目が発売される予定ですが,今のところ第1作の第4話まで完了しました。この第1作は4話までが2001年にゲームボーイアドバンス向けにリリースされたもので,第5話は2005年にDS向けとしてリリースされました。
 現在ではネットでiPhoneやiPod touch向けのものが販売されており,第1作から第3作までがパックになっています。第1作の第1話と第2話は,無料で配信されていて,それ以降の作品はアップルストアから1500円で入手出来ます。
 推理ゲームとかアドベンチャーゲームとかいわれていますが,殺人事件を調査し,法廷で検事側の主張を覆して真犯人を有罪に持って行くというのが各話の基本的な構成です。
 第1作第1話と第2話が無料お試し版となっているのですが,第3話以降の作品とはミステリー的に決定的な違いがあり,これをお試し版として試してそれ以降の作品を推し測れというには,問題があると思います。第1話と第2話は,最初に真犯人が画面に現れて,真犯人が初めから明らかになっています。つまり,ミステリーとしては到叙物という事になります。したがってゲームの主眼は,いかに証拠を揃えて法廷で有罪に持って行くかにあります。しかし第3話以降は真犯人が隠されており,真犯人探しも必要です。とはいえ,どれも主眼は法廷にあり,ゲームとしてのメインも的確は証拠を揃えていかに法廷で戦うかというところにあります。
 そんな事から,謎と推理と解決という通常の推理小説の興味とは少し異なっており,推理小説の代わりにはなりませんでした。
 しかしゲームとしては,なかなかよく出来ていると思います。法廷での証拠の的確な提示という,通常の推理小説を読む時とは少し違う神経を使うゲームですが,おもしろく遊ぶ事ができました。
 逆転裁判は,ゲームのヒットによって演劇になり,宝塚の音楽劇になり,さらに成宮寛貴主演で映画化されています。芝居の方はどうしようもありませんが,映画の方はDVD化されており,いまでも見る事ができます。三池崇史監督作品で,期待できます。

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2005/09/25

西武多摩川線,新小金井南側からの引込み線

 吉祥寺の本屋さんに行ったら,「戦争の記憶を武蔵野にたずねて」という本がありました。副題に「武蔵野地域の戦争遺跡ガイド」とあります。
 この地域については,以前このBLOGで,西武多摩川線新小金井駅南側から分岐した引込み線があり,その目的が分からないという記事を書いたことがあります。もしかしたら,この分岐線のことが出ているかもしれないと思い,ぱらぱらとめくってみました。
 そうしたら,見事に載っていました。しかも,私が記事に載せた国土地理院の白黒空中写真入りで,三鷹研究所内のロータリーから北に伸びる道路の北端にホームがあったこと,別の箇所には,中島飛行機三鷹研究所建設の資材運搬にこの引込み線が使用されたことが記載されていました。

---<引用>-------------------
 この道(ロータリーから北へ向かって伸びる道のこと)の北端に,是政線の新小金井駅付近から伸びる引込み線のホームがありました。この引込み線の跡は現在でも湾曲した道路となって新小金井駅付近に一部残っています。(95ページより)
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 建築資材は,是政線の新小金井駅から現在のICU高校の北端のところまで敷設されていた引込み線で搬入されました。(137ページより)
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 ほかに,武蔵境から中島飛行機武蔵製作所までの引込み線のこと,中島航空金属と武蔵製作所を結ぶ762mm軌間の専用線についても言及されており,豊富な写真とともに,興味深いものがあります。
 この本は,そもそも「平和を守るための『想像力』を鍛える一助として使ってほしい」という意図で出版されたものですが,この地域のかつての引込み線の探索をする者にも,興味深い本です。

 アマゾン書店で検索したら,この本は出てきませんでした。代りに,こんなページがありました。東京都武蔵野市吉祥寺にある,法政大学第一中・高等学校のホームページの中にあるこの本の紹介記事です。著者の一人である牛田守彦氏が,この学校の社会科の教諭であることから,学校のホームページで紹介されているようです。

  http://www.hosei.ac.jp/general/ichi/ushidabook.html

  2005年8月10日発行
  牛田守彦,高柳昌久 著
  発行所 株式会社 文伸/ぶんしん出版
  ISBN4-89390-100-1
  価格 840円 (このうち40円は消費税)

 アマゾンで出てこなかったので,「ぶんしん出版」をネットで検索しましたが,自費出版の広告しかありませんでした。この本を手に入れる場合,やはりこの出版社に連絡するってものですかね。私は,吉祥寺の東急百貨店の中にある紀伊国屋書店で手に入れたのですが。この本は,アマゾンに限らず,bk1でも,楽天ブックスでも出てきません。私が手に入れた紀伊国屋の「紀伊国屋書店Book Web」でも出てきませんでした。ひょっとしたら,自費出版に近い形なのかもしれません。吉祥寺の紀伊国屋書店には,平積みしてあったんですがね。

ushidabook

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2005/08/28

つくばエクスプレス

 8月24日に開通したばかりの,つくばエクスプレスに乗ってきました。つくばエクスプレスは,東京秋葉原とつくば市を45分で結ぶ第三セクターの鉄道です。
 秋葉原駅は,かなりごった返していました。券売機には長蛇の列が出来ていましたが,私はパスネットカードを持っていたので,直接改札口へ。
 列車は,普通と区間快速と快速の3種類があり,つくば行きの快速に乗車しました。列車は超満員というわけではなく,駅の混雑ぶりに比べて,思ったより空いていました。つくばまでの間,東京から遠ざかるにつれてどんどん空いてくるのかと思っていたら,反対に混雑してきて,つくばに着く頃には,結構な混雑になりました。
 実は8月24日の開通日にも,私はこの鉄道に乗っています。会社帰りでしたから,さすがにつくばまでというわけではなく,都内区間である秋葉原-青井,ここで折り返して青井-北千住間を乗りました。このとき,秋葉原駅のJR北口側入口がテープで閉鎖され,しかもそのテープに「警視庁」と書いてあったので,開通早々事件発生かと思ったのですが,どうも小泉首相の乗車に関連した閉鎖だった様です。このとき,青井駅で帰りの列車を待っている際に快速列車が通過したのですが,かなりのスピードで,ちょっとビックリしました。駅のホームには柵と電車のドアと連動するホームドアが備えてあり,確かにそれがないとちょっと危険です。
 これまでつくばへ行く場合,高速バスに乗るのが普通でした。そしてその高速バスがほぼ10分毎に出ていたくらいなので,東京対つくばだけ考えても,それなりの交通需要はあるものと思われます。ただしそれだけでは,高速バスの輸送量を上回る,12~15分毎の6両編成の列車(秋葉原-つくば間。その間に秋葉原-守谷間折り返しが入る)を満員にすることは出来ません。この鉄道の成否は,沿線開発がどの程度進むかによるのでしょうが,住宅の都心回帰の時代に,なかなか難しいのかもしれません。

 電車の写真は,つくばエクスプレスのホームページでも見てもらうことにして,ここでは,秋葉原ターミナルの写真を載せます。

akihabara

 ところで,どこかのBLOGで,つくばエクスプレスの「TX」というロゴがカタカナの「イヌ」と読めると書いてありました。それを読んで以来,このロゴ,どうしても「イヌ」としか読めなくなってしまいました。

logo

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2005/08/17

西武多摩川線廃線跡,その後

 先日,西武多摩川線の引込み線について書きましたが,散歩がてら,その現地へ行ってきました。
 しかし,先日の記事に添付した現在の空中写真を見ても分かるように,引込み線のあったあたりは,きれいに区画整理された住宅地になっており,線路の痕跡が残っているわけもありません。さらに引込み線の終端付近は,現在ICU付属高校となっていますが,高校が出来る前は,一時ゴルフ場になっていたようで,ゴルフ場造成の段階でもう廃線跡は消えてしまっています。ということで,現地は全く廃線の香りはありませんでした。もちろん,この引込み線が,何のための引込み線か,分かるはずもありません。

<ゴルフ場時代の引込み線廃線跡>
(写真をクリックすると大きくなります)
ICU

<多摩川線の終点「是政」駅>
 ほんのついでに,終点「是政」駅の写真を示します。駅はかなり奥の方(黄色い電車が止まっている辺り)ですが,線路はその先,府中街道際まで伸びています。写真を撮った位地から振り向けば,もう府中街道です。
 多摩ニュータウンの開発が始まるころ,ニュータウンへのアクセス鉄道として,現在実現している小田急多摩線,京王相模原線の他に,この西武多摩川線のニュータウンへの延伸が考えられていました。どの程度本気だったのかは分かりません。実現していたら,おそらく是政から多摩川を渡って,ニュータウンに向かうことになったのでしょう。
koremasa

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2005/08/10

西武多摩川線の引込み線

 先日に続いて,オタッキーな鉄道の話です。
 下の白黒写真は,米軍が戦後すぐ撮影したものですが,その左側をを斜めに走る線は,西武鉄道多摩川線です。西武多摩川線は,JR中央線武蔵境から多摩川に近い是政まで走っている単線の鉄道です。この線から出ている引込み線(専用線)のたぐいは,現在では一つもありませんが,その昔,いくつかの引込み線がありました。この路線は,西武の主線である池袋線,新宿線とは接続していない単独路線ですが,JR(というより旧国鉄といったほうがふさわしいのでしょうが)中央線とつながっているため,沿線の施設にとって,この線から専用線を引くと,国鉄とつながったも同様という状態になり,便利だったと思われます。
 この線から出ていた専用線で一番有名なのは,沿線の調布飛行場への引込み線です。この飛行場は,現在では伊豆七島などの離島便の発着に使われていますが,その昔は軍用にも使われた飛行場ですから,引込み線があっても不思議ではありません。
 一方,何のための引込み線かよくわからないのが,写真の引込み線です。新小金井駅南方から東に分岐している短い専用線です。
 この引込み線の南側は,現在では国際基督教大学(ICU)となっていますが,この引込み線があった頃,ここは当時世界最大といってもいい航空機製造会社,中島飛行機の三鷹研究所でした。中島飛行機は,戦闘機「隼」のメーカーとして有名で,特にエンジンは定評があり,三菱製のゼロ戦にも,中島のエンジンが装備されていました。この線,三鷹研究所への専用線であったというのが一番ありそうなことですが,研究所内深く進入しているわけでなく,研究所の北端をかすめて終わっているというのが解せないのです。
 カラー写真は現在のこの付近の様子です。旧中島飛行機の敷地に拡がっているのがICUですが,十字路の特徴あるロータリーやE字を反時計回りに90度まわしたような建物など,中島飛行機時代の面影を残していることがわかります。E字の建物は,補修されながら,大学本部として使用されているそうです。

<国土地理院の空中写真より(終戦直後)>
 (クリックすると大きくなります)
seibutama

<国土交通省のウエッブマッピングシステムより(現在)>
 (クリックすると大きくなります)
seibutama2

---<追伸>---------

 この引込み線について,その後「武蔵野地域の戦争遺跡ガイド」という本の中に書いてあるのを見つけ,このブログの記事にしました
 この本によると,やはり中島航空機三鷹研究所への引込み線だったようです。

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2005/08/08

千葉県営鉄道多古線跡

 このBLOGの右の帯にある「プロフィール」を見てもらうと,趣味は「鉄道」と書いてあるのですが,このBLOGではあまり鉄道のことを話題にした事がありません。
 そこで,今日は思いっきりオタッキーな鉄道の話題を披露します。
 以前このBLOGで,千葉県九十九里や飯岡町刑部岬へドライブに言った時の事を書きました。その記事の中に,「県道をそれて,旧千葉県営鉄道多古線跡の道路を通って県道290号線と国道296号線の交差点へ」という部分があります。この千葉県営鉄道多古線というのは,明治44年,成田と多古の間が開通した鉄道です。千葉県に本拠地があった帝国陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した鉄道を,千葉県が借り受けて開業したもので,600mmという小さな線路幅(軌間)を採用した鉄道だったといいます。
 さらに大正15年(昭和元年)には多古から先,八日市場までが1067mmという国鉄と同じ軌間で開通,それが昭和2年民間に売却され,成田鉄道多古線となりました(正確には,成田電気軌道に売却され,その後成田電気軌道が成田鉄道に名称変更)。その1年後,成田-多古間も1067mmという軌間に改軌され,国鉄と直通運転も行われるようになったようです。
 ところが,戦時中の昭和19年,線路を南方開発に使用するため,不急路線として休止(一説には,成田鉄道の親会社,京成電鉄の意向といいます),そして戦争終結後の昭和21年10月9日,復活することなく正式に廃止されました。鉄道を失った成田鉄道はバス会社となります。千葉県北部に路線網を持つ千葉交通が成田鉄道の現在の姿です。
 さて,私が車で走った多古線跡というのが,下の写真の特徴的な山形の道路です。この写真の左手,つまり西の方,すぐ近くに成田空港があります。実はこの区間,山形の廃線跡から分岐してさらに北に向かう道路ともいえない筋が写真上で見えています。これは,明治44年の開業時の路線で,昭和3年に1067mm軌間に改軌された時,山形の路線にルート変更されたのです。現地へ行ってみるとわかりますが,旧線は北に向かってきつい勾配になっていて,この勾配を緩和するためのルート変更だったといわれています。そもそも,明治時代の開業時,北へ線路が向かっていたのは,北のほうに集落があったからで,それが改軌後の新ルートでは,集落からは離れてしまいました。山形のこの区間は,現在でもほとんど民家がありません。
 この成田鉄道多古線の三里塚駅は成田空港のフェンス間際にあり,フェンス警備のため警備員(ひょっとしたら警察官?)が常駐していて,ちょっと写真など撮っていると不審尋問されそうな雰囲気です。三里塚駅から線路は現在の成田空港内へ入っており,廃線跡はすっかり空港と化してしまって失われています。千代田付近で空港敷地を出て,この山形の道路になります。写真の右方,つまり東方向に染井交差点があり,そこから多古を通ってJR八日市場駅まで,廃線跡は車が行きかう国道296号線となってしまい,廃線跡の雰囲気は微塵もありません。この国道296号線に,東京浜松町から東京駅を通って八日市場まで,成田鉄道の後身である千葉交通の高速バスが走っているのも因縁ですね。
<訂正>
 国道296号線,旧成田鉄道跡を走る八日市場行きのバスは,東京駅-八日市場駅間のJRバスでした。千葉交通の高速バスは,浜松町-東京駅-銚子-犬吠崎で,旧成田鉄道の路線跡は走りません。間違った情報を書いてしまい,申し訳ありませんでした。

<国土交通省のウエッブマッピングシステム空中写真より>
 (写真をクリックすると,さらに拡大します)
Chibakenei_2

<追  伸>
 Google street viewによる,多古線旧線,新線の分岐部分の現在の様子をアップしました
 さらにその先の様子も別の記事にしました

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